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わたしのあした

大島まりさん

パイオニアトークVol.1

大島まりさん

東京大学大学院情報学環

東京大学生産技術研究所 教授

プロフィール

1984年筑波大学第3学群基礎工学類卒業。1986年東京大学大学院工学系研究科原子力専攻修士課程修了、1992年同博士課程修了(工学博士)後、東京大学生産技術研究所助手に着任。文部省在外研究員(米国スタンフォード大学)を経て、1998年東京大学生産技術研究所講師、1999年筑波大学・東京大学生産技術研究所併任助教授、2000年東京大学生産技術研究所助教授、2005年同教授。2006年より現職。

研究も学際的になった今、求められているのはコミュニケーション力。女子の得意能力ではないでしょうか

第一線で活躍する理工系女子のロールモデルに理工系女子がお話を聞く対談シリーズ。第一弾は、バイオ・マイクロ流体工学の第一人者、大島まり東大教授。動脈硬化症や脳動脈瘤など循環器系疾患の原因となる血液の流れをコンピュータ・シミュレーション等により物理の観点から研究し、その成果を診断・治療システムに応用することまで広範に活動されています。さらに、女子を含む後進育成のために高校での出張授業など科学技術教育も熱心に取り組んでいらっしゃいます。テレビなどマスコミの出演も多く、その明快な分析としなやかな対応でも注目を集めています。
聞き手:荒木 由季子(株式会社日立製作所 理事)

理工系を選んだ動機

工学系は、目に見えるかたちで
社会の役に立っているイメージがあったんです。

荒木: そもそも理工系を目指して、この分野を勉強しようと考えられたのはどんなきっかけだったのでしょうか。

大島: 小さいときからモノを作ったりするのが、比較的好きでしたね。本当のことを言うと、壊す方が得意だったのですが(笑)。あと数学とか理科が好きだったので、できたら理系の分野に進んでみたいなと思っていました。

荒木: アポロ11号が月に着陸したのを見て、科学って素晴らしいと感動されたとおっしゃっていましたが、ご両親など周りの方から“女の子はそうじゃなくて”みたいな感じで反対されるようなことはなかったですか。

大島: 父が理工系の学者だったこともあって、どちらかというと励ましてくれて、自分の好きなことをやりなさいといった感じでしたね。自分の好きなことができ、恵まれた環境だったのかなとは思います。

荒木: 今、少しは理系や工学系を目指す女性が増えているようですが、おそらく当時は女性が工学系を目指すということはすごく少なかったと思いますし、世の中にもそういう雰囲気は無かったと思うのですが。

大島: そこは時代を感じますね。おっしゃるように“女の子のくせに”“女の子が工学部に行ってどうするの?”と言われたりしました。高校は男女共学で理系のクラスということもあり、男の子や女の子と意識したりしませんでした、しかし、大学に入ったら、学部で百何人もいる中で女の子は数人しかいなく、クラスではたった一人。女子が工学部に行くということはめずらしいのだと、大学に入って実際に身を持って実感しましたね。

荒木: 先生は最初、どうしてその分野を勉強しようと思われたのですか。

大島: やはり何かモノを作って、それによって社会に役に立ちたい、と。工学系では、製品あるいはシステムなど、目に見えるかたちで私たちの社会に役立っているというイメージがありました。それが理由ですね。私の場合、小さい頃に石油ショックを体験したこともあり、エネルギー問題が日本にとって非常に重要だという思いを抱いていて、それに関して貢献したい、と。大学4年になって専門を選択するときに、エネルギー関係分野、特に核融合に興味を持っていたので、その分野の研究をされている先生の所で学びました。

荒木: 私と時代が似ていますよね。私も石油ショックで公害問題などが子供の頃にあって、そういう社会問題に対して自分なりにどうしたら解決に貢献できるか、自分が進学するときに考えました。そうした社会的な背景が進路選択に影響を与えたという点で、先生と私には共通点があるように思います。

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