拙著『アメリカの人種主義~カテゴリー/アイデンティティの形成と転換』をふり返って
ちょうど約一年前,拙著『アメリカの人種主義』を上梓した。以下では,著者の主観による読みどころと若干の裏話を披露したい。本書は,アメリカの人種主義について,カテゴリーとアイデンティティがいかに生成され,転換・変容を遂げたのかを,消費,学知,制度,経験,芸術の5つの角度から考察したものである。なぜカテゴリーとアイデンティティなのか。文化人類学者である私にとって,人間がどのように他者を分類し,名付けるのか,その分類はどのような社会的状況において形成され転換しうるのか,そしてマイノリティの人々はそうした外部から押し付けられたカテゴリーに向き合いながらいかに自己のアイデンティティを表現するのかーこれらは,長年,常に自分の探究心を駆り立ててきた問いであった。
本書は以下のような書き出しから始まっている。
〈黒人〉や〈白人〉という肌の色にもとづく人の分類は,人間の自然な思考の帰結なのだろうか。アメリカでは,当初からこうした分類は存在したのだろうか。なぜ,肌の色も言語も文化も多様な〈アジア系アメリカ人〉が,アメリカ社会におけるひとつの人種を形成しているのだろうか。どこまでが人間の性であり,何が人間の創り出したものなのか。こうした素朴な,しかし根源的な問いが,本書の出発点となる。
〈黒人〉や〈白人〉という分類が存在するのは,片方が肌の色が黒く,もう片方が白いので当然なのだ,と考えられがちかもしれない。肌の色は目に見えて明らかなので,人類普遍の分類方法だという考え方である。しかし,この冒頭の文はその思考自体を問い直している。結論を先取りするならば,アメリカでは肌の色に基づく分類がけっして当初から存在したわけではなかった。植民地時代は,大半の州は,肌の色よりも宗教や出身国など,他の要素で人口を分類し数えていた。肌の色を分類の基準としていたのはごく一部の州に過ぎなかったにもかかわらず,独立時に連邦政府によりそれらの州の慣習がセンサス(国勢調査)などに採用された。また〈白人〉〈黒人〉とは誰を指すのかも,時代によって何度も変化し,自明の実体あるものではないのである。
他方,〈アジア系アメリカ人〉は,実に多様な人々から構成される。1960年代末のアジア系アメリカ人運動の中で日系や中国系らの学生たちが,かつて侮蔑的に呼ばれていた〈オリエンタル〉という呼称を拒絶し,〈アジア系アメリカ人〉という新しい言葉で名乗り始めたのであった。
本書のさまざまな章に通底するのは,ブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動で再び脚光を浴びるようになった「システミック・レイシズム」という概念である。つまり人種主義は,単なる個人の偏見やステレオタイプだけの問題ではなく,また個別の差別的な社会制度の問題だけでもなく,雇用,居住区,教育,医療,健康,科学言説,メディア等での表象など,あらゆる領域にみられる差別が互いに連動して社会システム全体として人種主義を支え続けているとする考え方である。
本書の目次は以下の通りである。
序 章 システミック・レイシズムの新たな理解に向けて
第Ⅰ部 消費される人種カテゴリー
第1章 広告とジョークにみる人種のステレオタイプ
第2章 広告にみるステレオタイプと人種間の関係性
第Ⅱ部 学知が創るカテゴリー
第3章 アメリカ人類学史における「人種」
第4章 進化論とアメリカ人類学
――19世紀後半を中心に第Ⅲ部 制度が創るカテゴリー
第5章 センサス再考
――カテゴリーの連続性と不連続性第6章 帰化権にみる白人性とアジア系の境界
――法廷が定める人種カテゴリー第Ⅳ部 カテゴリーにもとづく差別
第7章 日系アメリカ人の経験とアイデンティティ
第8章 サンフランシスコ日本町にみるコミュニティ組織の変容
――1877~2000年第Ⅴ部 アイデンティティと人種カテゴリーのゆくえ
第9章 アイデンティティ・ポリティクスからポスト・アイデンティティへ
――2000年代の若手アジア系芸術家たちの作品と語りを手がかりに第10章 ミックスレイスの人びとが向き合う人種カテゴリー
――ロジャー・シモムラ,ローラ・キナ,シズ・サルダマンドの作品と語りから終 章 「ほどく」「つなぐ」がひらく未来へ
――井上葉子とジーン・シンの作品と語りから
あとがき
序章では,まず,前述の「システミック・レイシズム」をはじめとし,「人種」「カテゴリー」「ステレオタイプ」「色のシンボリズム」「カラリズム」など,本書の議論において重要なキーワードや概念を定義し,説明した。またアメリカ人類学会(American Anthropological Association)が1998年に発表した「アメリカ人類学会の人種に関する声明」と,アメリカ生物人類学会(American Association of Biological Anthropologists:旧アメリカ自然人類学会)が2019年に発表した「アメリカ生物人類学会の人種と人種主義に関する声明」について,それぞれの注目すべき点を論じた。例えば,後者では,人種の違いが実体として先に存在するのではなく,人種差別の結果として人種間に様々な生物学的あるいは医学的症状の違いが生み出されていると説明している点が注目に値する。
「第Ⅰ部 消費される人種カテゴリー」を構成する第1章・第2章では,記号論や広告論を援用しつつ,人種表象に見られるステレオタイプを取り上げた。第1章では,一般雑誌に掲載されたマイノリティが登場する広告とジョーク集に見られる人種的ジョークを題材としながら,資本主義のもとでいかに人種カテゴリーが消費されやすいかを,ジェンダーや年齢層,階級とのインターセクショナリティ(交錯性)に注意を払いながら解読した。第2章は,雑誌広告を続いて題材としながら,そこにみられる白人とマイノリティ(黒人,先住民,およびアジア系)の人種間関係について分析した。個々の事例に関する質的解読に加え,時代と雑誌の範囲を限定した上で定性調査も行い,全体の傾向を指摘した。第Ⅰ部の最後では,広告にせよジョークにせよ,人種を識別するためにどのような記号が挿入され,それらの複合的作用によりどのような解釈を受け手側に押しつけるのかを考察した。さらに,多くの黒人の命が奪われてきた背景として,こうしたステレオタイプがどのようにシステミック・レイシズムを再生産し続けているのかについても,後続の章につながるような議論を展開している。
第Ⅱ部「学知が創るカテゴリー」では,人種をめぐる科学言説の中でもとりわけ重要な役割を果たした人類学の学説史を追った。第3章では,人類学が「科学」としてそれぞれの人種をいかに特徴づけ優劣づけたのか,そうした学知がどのように奴隷制や移民政策と共犯関係を結んだのか,また最近のアメリカ人類学会とアメリカ生物人類学会が,どのように反人種主義の立場に立ち,是正に努めているのかを検討した。第4章では,人間の進化と人間の差異との関係についてどのような学知が提唱されてきたか,特に19世紀後半の進化論をめぐるアメリカの人類学者たちの反応と議論に注目した。さらに,それが結実した一例として,シカゴ万国博覧会の展示における人種表象を取り上げた。シカゴ博覧会は,科学と商業が共犯関係を結んだ例としても読めるだろう。
第Ⅲ部「制度が創るカテゴリー」では,アメリカの住民分類であるセンサス,帰化権という社会制度に関する論考である。第5章では,センサス初回の1790年から最新の2020年までのカテゴリーの連続性と変容について徹底的に調べ直した。その時代的変遷が一目でわかるように,人種・エスニシティのカテゴリーと,その他の社会的属性のカテゴリーの2つの表を独自に作成した。これまで十分に議論されてこなかった植民地時代のカテゴリーの名称や種類にも迫っている。また〈自由白人〉や〈ヒンドゥー〉などのカテゴリーの形成についても,訴訟の判決文を含むさまざまな史料から独自に迫った。第6章では,1790年に制定された帰化法で帰化の要件とされた「白い人(a free white person)」の定義が曖昧であったがために,1950年代に撤廃されるまで,いかにその境界がアジア系移民との関係性において輪郭を築いていったかについて,具体的な判例に基づいて検証した。Ⅲ部の最後において,それまでの3つの部で吟味したさまざまな人種カテゴリーがどのように共振しあっているのか,システミック・レイシズムがどのように再生産されているのかを考察した。
第二次世界大戦中,アメリカ政府は,西海岸に居住する「日本人を祖先とするすべてのもの」に対して,強制立退き・強制収容を命じた。第Ⅳ部「カテゴリーにもとづく差別」では,人種主義がカテゴリーにもとづき実践されてきた例として日本人移民・日系アメリカ人に対する人種主義を主題として扱う。第7章では,とくに第二次世界大戦前の排斥,戦時中の強制立退き・強制収容,1980年代の日米貿易摩擦の三つの時代に,最近の反アジア系暴力やBLMを加え,それぞれの時代における人種主義に焦点を当て,日本人移民・日系人の経験について論じた。第8章では,サンフランシスコの日本町を取り上げ,1870年代から2000年までの間に形成された日系人組織を概観しつつ,時代による組織生成の変遷を追った。本章の最初の調査は,学部生時代の1980年初頭に行ったものであり,戦前に発行された年鑑,電話帳,各団体の発刊物,関連書物などから日系人組織の名称,設立年,目的等を拾い出したものだが,現時点では閲覧不能となっている。その意味で,少なくともサンフランシスコ日本町のひとつの記録としての役割も担う章だと考えている。
「第Ⅴ部 アイデンティティと人種カテゴリーのゆくえ」および「終章 「ほどく」「つなぐ」がひらく未来へ」は,日系あるいはアジア系アメリカ人の芸術家たちへのインタビューをもとに,その語りと作品を分析することで,マイノリティ化された人びとがいかに人種カテゴリーと向き合うのか,人種主義にいかに抗いつつ,アイデンティティのありようを模索しているのかを探る。アーティストたちの作品と語りに着目したのは,研究者が概念化する前に,かれらが常に時代の最先端を切り取って作品として表現していると考えたからである。第9章は,多文化主義の限界が指摘された1990年代のあと,2000年代の白人のみならずマイノリティの若者たちの心をとらえた「ポスト・アイデンティティ」「ポスト人種」が叫ばれた時代に,アジア系アメリカ人がどのように自己のアイデンティティについて考え,表現しようとしたのかを〈アジア系〉〈アジア系アメリカ人〉というカテゴリーで主催された二つの展覧会と関係するキュレーターおよびアーティストたちへのインタビューからその世界観を描くことを試みた。第10章では,日系のいわゆるミックスレイスの2人を含む3人の芸術家の作品と語りに光を投じ,〈日系アメリカ人〉〈アジア系アメリカ人〉〈ミックスレイス〉といったカテゴリーをかれらがどのように定義・再定義し,その向き合い方を作品において表現しているのかを描いた。
終章では,日本と韓国出身の二人のアーティストの生きざまとメッセージをそれぞれの作品と語りに探りつつ,人種主義に押しつぶされることなく,未来に希望をつなぐ術があるのかを展望した。
さて,以下は,この本の誕生までの若干の裏話である。1999年に京都大学人文科学研究所に異動したのち,共同研究の醍醐味を覚え,編著や共編著,雑誌の特集号などは17冊に上っていた。しかし本書は,単著としては第一作目からおよそ30年ぶりの出版となった。あとがきに記したように,「2冊目の壁は厚い」という第一作の担当編集者から聞かされていた言葉通り,私には2冊目のハードルを超える本を書く自信が長い間もてなかった。博士論文に基づく第一作『日系アメリカ人のエスニシティ~強制収容と補償運動による変遷』およびその英語版が,日米の大学出版会で刊行され,それなりの評価を受けたことが,かえって自分の中では重くのしかかっていた。正直,自分のピークが30代だったとみなされる類の成果になることは避けたいと考えていた。
最初の大型科研費が終了した頃,今まで書いたアメリカ関係の論文をまとめて単著にできないかと思い,最初の本でお世話になった元東大出版会編集局長(現北海道大学出版会相談役)に相談したところ,全原稿に目を通してくださり,竹沢さんの成長の過程がわかるからいい,落とすべき章はない,と出版を勧めて下さった。ただ「成長の過程がわかる」をどのように解釈すればいいのか,もし未熟であるなら,未熟なまま出すわけにはいかないと,またそのまま放置することになった。
その数年後,大学出版会では今誰もがその敏腕を認める名古屋大出版会の編集長に連絡をとった。頂いた最初の反応は,本全体として何が言いたいのかわからない,という手厳しいコメントだった。若い頃,いろいろな先生や研究会に誘われ,依頼されるがまま,それぞれ異なる目的で原稿を執筆していたため,そう言われても仕方がなかった。
「アメリカの人種主義」というタイトルは,あまりに大きく,この本が問題の全てをカバーしているわけではないので,気恥ずかしく感じた。一方で,「カテゴリー/アイデンティティの形成と転換」というサブタイトルの,特にカテゴリーという言葉は,私の心に強く響いた。考えてみれば,自分のホームページでも,「人びとが他者に対して抱く「差異」の認識はどのように生み出されるのか」に関心があると書いており,自分の関心の中心にあるキーワードを引き出して頂いたと思う。
そうこうしているうちに,パンデミックが始まってしまった。コロナ罹患率・死亡率の人種間格差,ジョージ・フロイド事件とBLM運動,反アジア系暴力など,歴史的な出来事が短期間に次々と発生していた。あの頃の衝撃的で痛ましい一連の事件は,私にアメリカのレイシズムを社会構造全体で捉え,立体的に多元的に考える思考パタンへと導き始めた。
目次案については,何度か編集者とやり取りを重ねる必要があった。まずステレオタイプに関する2つの章を第Ⅰ部に置いたのは,編集サイドの提案だったのだが,別の出版社の編集者は,それに感銘を受けたという。私であれば凡庸に,序章のあとはセンサスから議論を始めていたに違いない。しかしそれにより,BLMを引き起こすことになった長年にわたる警察の黒人らのマイノリティに対する暴力の背景へと読者を誘うことが可能となったと今となっては考えている。
最終的に終章となったアジア出身の二人のアーティストに関する章について,本全体にかかる終章にせよ,そして環太平洋の議論を削除せよという指示には,正直戸惑った。というのも元の論文は,「環太平洋の移動と人種」という拙共編著のテーマに合わせて執筆したもので,環太平洋の本のために書いた論考から環太平洋を削るとどうなるのか,現在のアメリカ研究は,トランスパシフィックやグローバルから捉えるのが潮流であり,残せないかと打診したが,指示は変わらず,結果的に思い切った削除を行なわざるをえなかった。
他方で,私の方でこれだけは聞き入れて頂きたいという目次案があった。編集者サイドからは,前半がアメリカ社会全体の人種主義に関わるもので,後半が「アジア系」というカテゴリーを問い直すという構想が提案されていた。ただ,研究対象で分けるという案が腑に落ちず,私にしては珍しく諦めずに交渉を重ね,2章ずつ組み合わせ,5部構成とする案に同意して頂いた。
こうして,前半はアメリカ社会全体に関する議論,後半はアジア系の事例を考えるという構想から,あくまでもカテゴリーを中軸として,システミック・レイシズムがいかに再生産されているのかを多角的に検証する目次へと変更し,全体構想がまとまった。
途中で,「これは恥ずかしくて世に出せません」と,自主的に削除した章もあった。それは故梶田孝道先生には褒めて頂いたアイデンティティ・ポリティクスに関する章であった。当時としては目新しい議論であったが,基本的にアメリカでの議論の紹介と若干の考察以上のものではないというのが一番の理由だった。もちろん私も入門用や紹介的な原稿を書くことはあり,そうした本の社会的重要性を認識してはいるが,この本に関しては全ての章を通してオリジナリティにこだわった。
終章については,結果論的に言えば,一つの章だけ枠を拡げるのは本の統一性を損なうものであり,編集サイドの判断には今では納得している。本全体にかかるような終章とはどのようなものかを想像し,希望の光として収まるように書き直すことにした。それは,「争いはやめて」と願い,既存の人種カテゴリーを一度ほどき,新たに人と人とを繋ぎ,包括的で緩やかなコミュニティを作るというジーン・シンの思いになるべく寄り添うことによって,自然と自分の体から湧き出る言葉を文字化するという作業だった。
こうした編集者との交渉や知恵の出し合いによって,この本の構想や構成は誕生した。また,実際の担当者の編集能力やファクトチェック力にどれだけ救われたかわからない。私一人では到底思いつかなかった大事なキーワードや構成もあった。しかし調べ直し書き直すというのは,想像以上の作業だった。幸運にも科研費の成果促進助成を受けていたがゆえに出版できたのだが,それゆえに厳しい締切りに追われていた。当初の予定ページを倍まで超過して,もう1日も遅れられなかった2023年2月28日に刊行したのだった。
いざ世に出ると,色々と悔いる箇所も少なくない。ただ上梓した後,出版社の編集長から,先生があそこまで書き下ろしに近い形で書き直すとは思わなかったと言われたこと,また別の出版社のベテラン編集者からも,以前に読んだ論文も,なぜか新しく一つの物語の中に収まっていると感じたとの感想を寄せてもらい,安堵したものだった。
出版数ヶ月後の2023年6月末,アメリカの最高裁判所は,大学の入学選抜において,人種を考慮することを違憲とする判決を下した。連邦政府の助成金を受けていれば,多様性の要素の一つとして人種を考慮することが一切禁じられることとなった。アファーマティブ・アクション(積極的是正措置)の消滅である。今後予測されるのは,特にアフリカ系(黒人)および中南米系のエリート大学への進学が大幅に減少し,各界への進出が大きく妨げられるといった事態である。人種間格差は拡大する一方であろう。
2023年9月末からカリフォルニア大学ロサンゼルス校にて授業と講演を行いながら半年間滞在する機会に恵まれた。その間に目にしたのは,市の中心部での異常な数のホームレスのテント,新種のドラッグの蔓延による精神疾患者の多さ,殺人から強盗・万引きに至る犯罪の急増(州の法律によって950ドル以下は免除)である。これらの現象全てに人種主義が密接に関係していることは言うまでもない。構造的差別が新たな差別を生み出しているのである。
こうした人種問題は日本にとってけっして対岸の火事ではない。マイノリティと社会階層が強い関係性を持つと,その格差はますます拡大方向へと向かい出す。なるべく早い段階で構造的差別を解消することが重要である。アメリカの人種問題から日本社会を考え直したいものである。
なお本書の書評は,『朝日新聞』『東京新聞』『図書新聞』『ディスカバーニッケイ』等に掲載されており,年末には『朝日新聞』の一書評委員による「今年の3冊」に選ばれた。学術誌における書評はこれからではあるが,詳細は名古屋大学出版会ホームページを参照して頂きたい。
*本稿の後半部の所感は,上智大学アメリカ・カナダ研究所によって2023年11月11日に開催された「著者と語るシリーズ『アメリカの人種主義』」で行なった講演に基づいている。企画・司会を務められた小塩和人氏および関係者の皆様に改めてお礼申し上げる。