インタビュー個から考える多文化共生

とよなか国際交流協会 三木幸美さんに聞く

インタビュー「個から考える多文化共生」とよなか国際交流協会 三木幸美さんに聞く
下地 ローレンス吉孝
カリフォルニア大学バークレー校,ジャパニーズ・スタディーズ・センター 客員研究員
下地 ローレンス吉孝
専門は社会学・国際社会学。著書『「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』(青土社,2018年),『「ハーフ」ってなんだろう? あなたと考えたいイメージと現実』(平凡社,2021年)。監訳・解説に『インターセクショナリティ』(人文書院,2021年)。解説に『AI と白人至上主義』(左右社,2022年)。「ハーフ」や海外ルーツの人々の情報共有サイト「HAFU TALK」を共同運営。
三木 幸美
公益財団法人とよなか国際交流協会 事業主任
三木 ゆき
とよなか国際交流協会職員。大阪出身。フィリピンと日本のハーフとして被差別部落で生まれ育つ。
大学生ボランティアとしてとよなか国際交流協会に関わり始め,若者支援事業コーディネーターを経て2016年度より同協会職員となる。外国にルーツを持つ子ども・若者の活動を支援しながら自身も外国にルーツを持つ者として各地での講演・執筆活動で発信を続けている。

大阪府豊中市で地域の多文化共生を推進する公益財団法人「とよなか国際交流協会」。当協会で働く三木幸美さんに,「個から考える多文化共生」をテーマとし,ご自身の生い立ちやこれまでの経験,協会にかかわるきっかけや活動の中で見えてくる「多文化共生」についてお話を伺った。三木さんは2010年からボランティアとして協会にかかわり始め,2016年から職員として働き始めた。8年間は総務として地域の活動団体や協会内部の管理,広報などの活動を行い,現在は事業主任に着任されている。

思いを,聞く

三木:元々は協会のボランティアやコーディネーターとして活動していて,子どもや若者にフォーカスをして関わりを持ちたいというこだわりがあったのですが,総務の職員になり,いろいろな形での多文化共生に携わってきました。また,多文化共生に思い入れを持つ人がどのように集い,関わりを持とうとしてくれているのかを知るという意味では,総務の仕事をして非常に良かったと思います。

下地:地域の人と学校の人とNPOの他団体の人などと関わっていくなかでどのような経験がありましたか?

三木:職員になった最初の頃は,相手に対して「分かってもらえていない」と思ってしまうこともありました。私自身が当事者として,かつ支援者としても働くということなので,時に私自身が相手からのまなざしで傷つくということもあるわけです。

しかし,その先にある思いは聞かないと分からないというのは一つあると思っています。例えば,中国語を学ぶ教室をされている市民グループがあるのですが,広報誌に活動を載せるためにインタビューをお願いしたことがありました。それまでは,教室のやりとりとして,いつ何時から使いますかという話しかしたことがなく,どのような思いを持って活動をされているか,聞いたことがありませんでした。実際にインタビューをした時に,いつも快活な中国出身の講師から,「これまでは『中国に行ってみたいから』『仕事で中国出張があるから』と中国語を学ぶ人がいたのですが,最近人が減っています。やはり,みんな中国のことが嫌いですか?」と聞かれたことがありました。普段にこにこしながら声をかけてくれる,はつらつとした彼女の言葉に,私はその場でうまく答えることができませんでした。

「嫌いですか」と言われたら,個人として「私は嫌いでは無いです」と答えることはできます。でも,社会全体がどうであるかは私では断言できません。日本社会で生活する中で,「皆は自分の国を嫌っているんじゃないか」と思ってしまうような状況に彼女がおかれていることを,静かに突き付けられた経験でした。そこで改めて,直接的に支援をする,困っている課題を何とか解決することも大事ですが,空気感をもう少し変えていくというか,この社会の外国人を受け入れない姿勢や態度が変わっていくための取り組みを同時にやらないといけないと思いました。

複雑な部分をどう受け止めたらいいのか戸惑うことはあります。しかし,課題が解決できるにしろ,できないにしろ,話をしてくれた思いを一生懸命受け止めるのが今の仕事では非常に大事だと思います。変な話,必ず課題解決ができるかというと,そうではないこともたくさんあります。だからこそ,課題解決ができるかどうかという判断とは別の,まず向き合う態度が大事だというのは,職員として働き始めてからのほうが強く感じるようになりました。

下地:そうなのですね。さらに先ほど、当事者として働く中で、相手からまなざしで傷つくことがあるというお話もありました。

三木:それは本当にありますね。社会にマイクロアグレッションがある以上,センターは公的な施設ですし,そこで向けられる可能性はゼロではないです。マイクロアグレッションにつながるような「属性への期待」を持って来る人もいます。マイクロアグレッションってそれが怖いんですよね。相手からの期待と失望を感じて,なぜ私はこの人に残念がられているのだろう…?という瞬間はあります。

しかし,ある種のタフさは身に付いたかもしれないです。「うーん?」とけげんな顔をする気持ちは失っていませんが(笑),その状況から次に何ができるかを考えるようになりましたね。私はたしか2013年頃に初めてマイクロアグレッションという言葉を知ったのですが,言葉を得ることで,たしかに存在するものとして,個人としても社会全体でも認識できるようになってきたんじゃないかと思います。

何回も手放し,諦めた経験

下地:先ほど2010年からボランティアとして関わっているとおっしゃられてましたが,その時の当時の経験をうかがっても良いですか?

三木:ボランティアになったのは2010年ですが,子どもの頃からちょくちょくセンターに行くことはありました。というのも,私自身が戸籍,国籍がない子どもとして日本で生まれて大きくなって,8歳で正式に日本国籍を取得したんです。当時はまだ国籍法が改正される前で,日本人と外国人の間に生まれた婚外子で胎児認知も取っていない場合,日本国籍の取得はできないことになっていました。さらに,母親も非正規滞在者,いわゆるオーバーステイの状態でした。

さかのぼって話しますが,その時に母親が,自分の子どもは小学校に通えないかもしれない,この子は何の手続きもしていないということで,大阪市教育委員会に相談に行きました。その時,相談員をされていたのがえの ゆかりさんで。そういった経緯もあり,私が高校生の頃,とよなか国流で事務局長をされていた榎井さんからインタビューを受けたのがボランティアになるきっかけでした。

その時はちょうど高校3年生で,進路にも悩んでいました。3年生の夏までは,東京でダンサーとして生きていこうと思っていました。しかし3年生の授業で,1年かけた個人探究のプロジェクトがあって,その中で私は外国人労働者との関わりをテーマに挙げたんです。当時EPA(経済連携協定)で介護の分野で外国人が日本にやってくるという時だったので,「言語ができればコミュニケーションは成立するのか」という問いを立てて6000字くらいのレポートにまとめました。そもそも労働時間の中に日本語を学ぶカリキュラムが組まれてないし,日本人同士でもコミュニケーションがうまくいかないこともあるし,最終的に「言語も大事だが,分かりたいという気持ちが何よりも大事である」という結論に至ったんですね。

そして1年かけて結論を導き出したことで,それを実践としてやりたいというのが心の中にありました。やはり自分自身は日本に住んでいる外国にルーツを持つ当事者でもあるし,そのような自分の思いを形にできるような仕事や進路を選びたい気持ちがだんだん固まっていった時期でもありました。タイミング的には良かったです。実はその数年前までは,アイデンティティに向き合いきれず,「やっていられるか」と非常に荒れていた時期でした。それこそ母親に,「勉強しいや」と言われたら,「勉強しなあかんのどっちなん?」と言ったり,「ほんま日本語下手くそ過ぎて,なにしゃべってるか分からへんわ」と言ってしまったこともりました。

なので,自分の中のアイデンティティーは小さな頃から今に向かってまっすぐ育ってきたというわけではなく,何回も手放したり,諦めたり,無理だと思いながらも重ねてきた毎日だと思ってます。マイクロアグレッションという言葉は小さい頃は知らなかったですが,そのように呼ばれる現象は小さい時から何度もありました。

相手から直接「ここから出ていけ」とはいわれませんが,世の中や自分の周りの人が外国人をどのように見ているのか。指さしていい,笑っていいなど,私のもっているものはあまりいいちがいではない,というメッセージを敏感に感じていた子ども時代でした。

その影響もあって,子どもの頃,親の名前を書く欄に「三木順子」って書いてたんです。誰やねんって感じでしょ(笑)でも,「メルバ」の名前が選べなかった。自分の持っていたものを手放してしまおうと,自分が差別をする側に回ってしまったこともありました。

先ほども言ったように,されることの痛み,つらさはもちろんあるのですが,加害をしてしまった時の自分の心に影を落とす重たさやどんよりさは,一生自分が向き合っていかなければいけないものだと思います。「なぜあのような言葉を言ったのだろう」という単純な後悔で終わる問題ではなく,そのような意味では落としまえが付いていないから,今もいろいろな形で実践に関わり続けているのではないかと思います。

どこまでも,続きを一緒に考える関係

下地:マイクロアグレッションの概念を知った時に,自分もこの概念は何だろうと思いました。しかし良かったのは,社会との関わりの中で経験を落とし込めるところだと思いました。

三木:多文化共生社会は基本的に,積極的に関わりを持つことで積み上げていく社会だと私は思っています。しかし,マイクロアグレッションをしないように気を付けましょうというのは,そのような関わりをもたない,人と関わり合いながら積み上げていくこととは離れていく話にもなりえると思います。マイクロアグレッションは人を傷つける言動なので,知っておかなければいけない大事な考え方ですが,本来は人と人とがコミュニケーションをとる時,相手を傷つける可能性はゼロじゃない。そんな時,修復に向けてきちんとやりとりができるほうが健全ですよね。

マイクロアグレッションを取り扱う時にありがちなのは,「加害者にならないように学びましょう」「当事者が傷付くので気を付けましょう」で,「しない社会や起きない社会がどうするかを考えましょう,つくりましょう」ではないのです。

最近マイクロアグレッションについて考えたい,取り上げたい人が非常に増えてうれしいと思う半面,どこまでも続きを一緒に考える関係をどうつくるのかというのは大事だと思います。

下地:今の,どこまでも続きを一緒に考える関係は,自分の中でドーンとキーワードとして入ってきました。

三木:やはり,「いなくなる」ことのほうが多いですよね。傷つける,傷つけられるという関係になると,傷つける可能性のある側はたいていその場からいなくなってしまいます。そして,マイノリティーにとって相手がいなくなるのはとても怖いことでもあります。そのような意味では,最初に話が戻りますが,今の仕事で,いろいろな形で多文化共生や国際交流に関わりを持ちたい,興味を持ってくれる人が目の前にいた時に,どうしたら一緒に続きを考えられる関係性をつくっていけるかは,個人的にテーマにしていることです。

私自身も,関わる子どもに対してマイクロアグレッションをしてしまった経験があります。その子は私に違和感を伝えてくれたので,奇跡的に気がつくことができた。とにかくめちゃくちゃ謝りました。「そんなつもりはなかった」などと到底言えないので,とにかく謝ることと,違和感を伝えてくれたことへの感謝ですね。これはマイクロアグレッションに限らず,カミングアウトにも言えることだと思います。

また,先ほど少し触れたのですが,「今すぐ必要とされていなくても,私はきちんとここにいますから」というメッセージは,特に子どもや若者と関わりを持つ時には意識して伝えるようにしています。

私自身,子どもの頃につらかったのは,差別を受けてつらい思いをしたことではなくて,こんな風に考えている,悩んでいるということを誰も知らなかった時期なんですよね。自分の世界に誰もいなくて,自分しか味方がいなくて。アイデンティティーを大事にしたい気持ちはあっても,それを社会生活の中で維持していく時に,自分のタフさだけでやっていくのは限界があります。やっぱり一緒に大事にしてくれる人も必要ですし,ここなら大事にできると思える場所も必要だと思います。

その積み重ねが,「怒り」「不安」「悲しみ」などのマイナスの感情を出してもいいという信頼感につながると思っています。

下地:三木さんは活動をしていく中で難しさを感じることはありますか?

三木:難しさは常に感じています。私は支援の仕事をしていますが当事者でもあるので,どうしても割り切れない感情もありますし,そういった葛藤はとても大きいです。自分の思いが率先して出てしまう場面があるのではないかと思って,いつもヒヤヒヤしています。気を付けるようにはしていますが…これ書かれると恥ずかしいですね(笑)。

言葉を,切り取らせない

下地:三木さんの記事やブログを読ませてもらったのですが,言葉をとても大切にされている気がして,それについてもぜひお聞きしたいです。

三木:これまでの人生の中では,言葉を切り取られるシーンがたくさんありました。過去に取材を受けた記事も,SNSなんかでは「不法ガイジン」とまとめられたり。そんな風に言葉を切り取られてしまうと,それ以降どのように自分が言葉を紡いでも思ったようには進まないという状況を何度か経験しました。

そこで私が身に付けたスタンスは,切り取らせない,存在を受け止めるしかないような言葉をどうやって紡ぐか,ということでした。私の場合,自分の境遇や経験を過酷で困難なものとして書くこともできます。でもそうじゃなくて,この社会を信頼して生きる人たちの存在を簡単には否定できないように書くのはどうすればいいのか,と考えて書いてきました。

それは私なりの社会への抵抗というか,自分の存在を懸けた闘いでもあると思います。自分発信の言葉にはなりますが,その言葉で自分も守られたいと思っていますし,自分の周りの人も守られるといいなというのを,言葉を書く時はとても大事にしています。そういう,祈りのような思いを宿した言葉にできたらいいなと思っています。

活動のベースにあるもの

三木:すべての出発点は,マイノリティの存在や人権を大事にしないことへの怒りですね。怒りは一般的に良くない感情ととらえられますが,自分らしく生きることを否定されることへの怒りは,当然の感情だと思います。

しかし,怒りの表現方法はひとつではないというのはこれまでの人生で学んできた部分でもあります。だから,今の仕事や言葉を紡ぐことを通して,自分の思いが多文化共生社会にどんな風に貢献できるのか,まだ道半ばですが頑張って探していきたいと思っています。

(2024年1月19日)

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