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シンポジウム講演録

パネルディスカッション②:仕事と経済 ―多様性とイノベーション

是川 夕 写真
博士(社会学)/国立社会保障・人口問題研究所国際関係部 部長/モデレーター
是川 夕
東京大学文学部,同大学大学院人文社会系研究科修了。カリフォルニア大学アーバイン校修士課程修了。内閣府に勤務の後,2012年から同研究所に勤務。専門は社会人口学,移民研究。出入国在留管理庁「特定技能制度及び育成就労制度の基本方針及び分野別運用方針に関する有識者会議」委員,OECD移民政策専門家会合(SOPEMI)メンバー等を務める。
アルベルト ミヤンマルティン 写真
慶應義塾大学 経済学部 准教授/パネリスト
アルベルト ミヤンマルティン
スペイン出身。バルセロナ自治大学翻訳通訳学部卒業後に来日し,大阪大学にて日本語・日本文化の博士号を取得。山口県立大学国際交流員や同志社大学グローバル地域文化学部助教を経て現職。専門は言語学,比較文化論,翻訳思想史,日本教育史。研究内容は,近代日本における西洋文明の受容,啓蒙思想と倫理教育,他国との文化交流など。福沢研究センター所員,日本・スペイン・ラテンアメリカ学会役員。
著書に『『修身論』の「天」:阿部泰蔵の翻訳に隠された真相』慶應義塾大学教養研究センターなど。
梅﨑 昌裕 写真
東京大学大学院 医学系研究科 人類生態学分野 教授/パネリスト
梅﨑 昌裕
専門は人類生態学。
若い頃は,パプアニューギニア,中国海南島などで,住み込み調査をしました。
最近は,腸内細菌と人類の適応との関係に興味をもち,日本,ラオス,エチオピアなどでプロジェクトを運営しています。
主著は『ブタとサツマイモ: 自然のなかに生きるしくみ』(小峰書店),『微生物との共生: パプアニューギニア高地人の適応システム』(京都大学出版会)など。
コチュ オヤ 写真
株式会社Oyraa 代表取締役社長/パネリスト
コチュ オヤ
トルコ生まれ。大学で電子通信工学を専攻し,2006年に日本のオムロン株式会社のインターンシップに応募し,初来日。滋賀県水口町(現・甲賀市)で暮らすなかで日本文化に心酔。大学卒業後,東京大学の研究員となる。13年に大学院工学系研究科を修了後,日本でボストンコンサルティンググループに就職。17年,株式会社 Oyraaを創業し,153か国の言語の通訳者を即時に呼び出せるアプリを開発し話題となる。18年,日本に帰化。現在,株式会社Oyraa代表取締役社長のほか一般社団法人外国人雇用協議会 理事も務める。
友原 章典 写真
青山学院大学 国際政治経済学部 国際経済学科 教授/パネリスト
友原 章典
2002年ジョンズ・ホプキンス大学大学院よりph.D.(経済学)取得。
世界銀行や米州開発銀行にてコンサルタントを経験。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)経営大学院エコノミスト,ピッツバーグ大学大学院客員助教授およびニューヨーク市立大学助教授などを経て,現在,青山学院大学国際政治経済学部教授。著書に『移民の経済学』中公新書,『外国人と共生するための実践ガイドブック』日本評論社がある。

是川:このパネルディスカッションでは“未来”について考えたいと思います。“多様性とイノベーション”というと,経済や科学など一部の分野のイシューと思われがちですが,実際には社会自身が大きく変わっていくことだと思います。また,社会が変化していくなかでは“仕事と経済”の場が見られることが多いことから,このタイトルを付けました。では最初に皆さん,自己紹介をお願いします。

ミヤンマルティン:アルベルト ミヤンマルティンです。かなり長い名前ですみません(笑)。私が生まれたスペインのマヨルカ島では,スペイン語とカタルーニャ語が話されています。そのせいか,子どもの頃から翻訳に興味があり,今は翻訳学を専門にしています。本日は言語学と比較文化論,日本近代教育史という観点からお話したいと思います。個人的なことをお話しますと,実は先日,DNA検査を受けました。スペインは,ヨーロッパでありつつ,中東系やアラブ系の血が入っている可能性があります。私もよく「あなたはアラブ系なのか」と聞かれるので,興味もあってDNA検査キットを取り寄せました。その結果,届いた用紙に書かれていたのは,「明治時代以降に日本に入ってきたヨーロッパ人」だけでした。がっかりしました。そんなこと,言われなくても知っていますから(笑)。結局,そのDNA検査は日本人しか想定されていなかったわけです。でも,実は現在の日本では,外国にルーツを持つ人が想定されていない事例は,ほかにも数多く存在しています。先ほど私の名前はすごく長いと申し上げましたが,そのことでも苦い思いをします。たとえば,ネットで自分の名前を登録すると,必ず字数制限に引っかかります。銀行や通販の名義,光熱費を支払ったり,クレジットカードを申し込んだりするとき,何かのサービスに登録するときなど,自分はこの社会では“想定されていない人”だと感じます。でも,“想定されていない=意図的に除外されている”ということではないとも思います。今日は,そういう観点も含め,いろいろお話したいと思います。

梅﨑:私は人類生態学を主に研究しています。最初に行った海外はパプアニューギニアでした。通常,人類学者は言葉を覚えずに現地に入り,ニコニコしながら佇みます。すると村の人たちが心配して世話を焼いてくれて,いつの間にか意思が通じるようになります。初めて訪れたその村は,電気も通じない,農薬も使わない場所でしたが,人々がたくましく生きていることに素朴な喜びを感じることができました。

現代医学では説明できない現象について,ひとつご紹介します。パプアニューギニアの人は栄養学的に見るとタンパク質の絶対的な摂取量が不足していますが,体格は非常に良くて筋骨隆々としています。とても不思議です。私はこの現象のカギを握るのは腸内細菌だろうと考え,研究を進めています。腸内細菌を調べるのに必要なのは便です。便はニューギニアの言葉でペクペクと言い,私はいつのまにか“ペクペクマン”とあだ名をつけられ,「ペクペクマン,うんちが取れたから取りに来て」と呼ばれると,それを凍らせて持って帰り,栄養学の謎を解き明かす研究を続けています。そんな立場から今日は,ニューギニアで暮らした経験や,人類学で研究している“地球人”について,お話をさせていただこうと思います。

コチュ:私はトルコ出身で,19年前,半導体の研修のため滋賀県南口(現在の甲賀市)に来ました。それまでは特に日本に興味はなく,知っていたことは“漫画,アニメ,寿司,芸者,忍者”ぐらいでした。でも,出会った日本人がいい人ばかりで,みんな天使のようで『自分は天国に来たんじゃないか』と思えるほどでした。そして日本に住み続けたいと思い,2013年に東京大学大学院修了後,日本にあるボストン・コンサルティング・グループに入社しました。その後,日本で株式会社Oyraa(オイラ)を立ち上げ今日に至っています。オイラは153か国語の通訳者とユーザーをつなぎ,1分ごとの課金でサービスを提供するオンデマンド通訳アプリです。おかげさまで多くの人に利用してもらっています。そのほかには,『グローバル ソサエティ レビュー』というネット雑誌の編集委員,外国人雇用協議会の理事などにも関わっています。また,日本の良さを世界に発信したいと思い,内閣府のクールジャパン戦略のメンバーとしても活動しています。今日は多様性が一つのキーワードですが,私も日本でインターン生,大学院生,会社員と,いろいろな立場を経験していますので,そういった観点でお話したいと思います。

友原:私の専門は経済学です。移民を中心に研究しており,中公新書から『移民の経済学』という本を出版していて,それが20校近くの大学で入試問題として採用されました。もしかしたら,皆さんの中にもお読みになった方がいらっしゃるかもしれません。私が移民を研究するようになったきっかけは,人生の1/3近くをアメリカで過ごしたことです。そうは言っても,帰国子女ではありません。実は20歳になるまで日本から出たこともありませんでした。アメリカ滞在時は,正規の在留資格を持っていたにもかかわらず,いろいろな不安を感じて過ごしていました。今もアメリカで移民はいろいろ問題になっていますが,本日はさまざまな論点について,経済学の観点から,今後の社会を考える上でのヒントを提供できればと思っています。

各分野の専門家が考える“多様性”は見方,関わり方によってネガティブにもポジティブにもなる

是川:では,最初に“多様性とは何か”というテーマについてお話ししたいと思います。皆さんそれぞれの専門において,多様性をどのようなものとして捉え,扱っているのでしょう。そしてそれはネガティブ・ポジティブどちらだと捉えられているのでしょう。どのような専門知においても,扱われる素材の多くは,一言で言えば“混沌”であり,その瞬間には何であるかは分からない。そういったものから,何らかの法則を見い出すなかで新しい発見やビジネスが生まれるのだろうと思います。それぞれのご専門に即しつつ,多様性との関り,なれそめ,具体的なエピソードなどをお話しいただければと思います。

ミヤンマルティン:私の研究テーマは,近代日本における西洋文明の受容です。今,グローバル化という言葉をよく使いますが,グローバル化にはいろいろな意味があります。ひとつには,世界全部が一緒になるという意味です。すべて同じルールで,多様性もなくなり,同じ規範で生きていく形です。それに対して,internationalization,国際化という考えがあります。これは,自国の文化を持ちつつ世界の中でグローバルに生きる,という意味で,その場合は多様性を見いだすことが必要になります。例えば日本の大学では,今,多くの留学生を受け入れ,彼らと英語でコミュニケーションをしようとします。しかし,留学生個々の言語や文化を尊重しつつ日本文化,日本語を勉強する機会を提供する,という形の方が,多文化共生的には健全です。グローバル化でも国際化でも,それぞれ自分の文化と言語を尊重するということは,もうかなり前から認識されているところです。

もうひとつ,今,我々が多文化共生を考えるとき,多くの人はこれから入ってくる移民をどうするか,というところを見ていますが,その前に,すでに日本に存在している多様性を考える必要があることも指摘したいです。例えば日本国内には沖縄やアイヌも含めて多様な文化もありますし,年齢,性別,性的指向,障害のある人など,さまざまな人がいます。私はこの点を重要なポイントにさせていただきたいと思います。

コチュ:私は日本に来たとき,日本の国民性の同質性と画一性に驚きました。トルコはアジア人とヨーロッパ人が混在しているため,ルックスも価値観も異なる人が集って暮らしています。それが当たり前だったので,同質性に優れた日本人にはとても驚きました。その国民性があるからこそ,日本では規範や暗黙のルールが守られ,安全安心に暮らせるのだと思っており,日本人はもっとそれを誇りに思うべきだと考えています。

ただ,多様性という観点では,少し変わってきます。皆さんは多様性と言われると,性別や国籍など,ジャンルやカテゴリーを考えると思いますが,多様性とは“違う価値観,違う意見,違うバックグラウンドがあること”だと私は思います。それは同じ国民同士であっても,違うことを感じ考える人を尊敬し,分かり合うことがベースになります。しかし日本では,人と違うことを発言すると仲間外れになると,よく聞きます。「出るくぎは打たれる」という考えですね。それはおかしいです。まず違う価値観,違う意見があって当たり前だという認識が大事で,そこが多様性のコアアイデアだと思っています。

多様性がしっかり受け止められれば,みんなの強みを生かせるようになります。私は今,多国籍の人が働く会社を経営していますが,会議での進め方には日本人と外国人で大きな違いがあります。

日本人スタッフは,議題に対して徹底的に準備をし,さまざまな角度からリスクや可能性を検討し,完璧な資料を整えて会議に臨みます。その姿勢には本当に感心しており,これは日本人のスーパーパワーだと思っています。動きは決して早くはないかもしれませんが,非常に確実で,着実な前進を生み出します。

一方で,外国人スタッフはどちらかというとアジャイルに動き,まずやってみて,失敗したらすぐ修正するというスタイルです。どちらが良い悪いではなく,それぞれに強みと弱みがあります。この違いを理解し合い,お互いの長所を掛け合わせられる社会こそ,多様性が生きる社会だと思います。

まず重要なのは,戦略的な移民政策をきちんと持つことだと思います。

今の日本では「受け入れるか・受け入れないか」という議論が先行しがちですが,本来は,どのような目的で・どんな人を・どのように受け入れるのかという設計こそが政策の核心であるべきです。

そして,受け入れた後の社会統合をどう実現するかも欠かせません。外国人が日本社会の中で安心して暮らせる環境を整える一方で,日本人が過度な負担や摩擦を感じずに共に生活できる社会をつくることも同じくらい重要です。

移民政策とは単に労働力を補うための仕組みではなく,社会全体の多様性と持続的な成長をどうデザインするかという国家戦略であると考えています。

梅﨑:よく皆さん,人種という言葉を使いますね。でも人類学の領域ではほとんど使いません。地理的に近いところにいる人とは遺伝的に近く,遠いところにいる人とは遺伝的に遠いという一般的な傾向があるだけなので,人間を生物的なグループに分けることには意味がないと考えます。たとえば皆さんは上野公園にいるチンパンジーがウェスタンチンパンジーか,イースタンチンパンジーか,などと区別はしませんよね。チンパンジーはチンパンジー,同じだと思っているでしょう。ところが,地球の80億人の人間よりもチンパンジーの方が遺伝的多様性ははるかに大きいんです。人類の遺伝的な多様性はチンパンジーに比較するとはるかに小さい。先ほどの遺伝子検査の話のように,解像度を上げると確かにどの辺りの出身か,ということは分かりますが,そのぐらいです。

では,なぜ僕らは遺伝的な多様性が小さいのでしょうか。ここで私も“地球人”という言葉を使わせてもらいますが,チンパンジーの先祖と分岐して地球人が登場したのは一説には700万年前のことです。これまで地球人には30種ほどが知られいますが,私たちホモ・サピエンス以外は絶滅してしまいました。ホモ・サピエンスの誕生は約20万年前。そして彼らがアフリカを出て全世界に散らばったのが約10万年前です。これを昔と考えるか,最近と考えるか。たとえば,一世代を20年として仮定すると,10万年前というと5000世代です。5000世代分の家系図をたどったらアフリカ以外に住む人類は共通の祖先にたどりつくと考えると,いかに私たちが遺伝的に均質かということは想像できるでしょう。ただし,環境に応じて若干の遺伝的変化もありましたし,隔離されたことでおのおの異なった文化を持つようになったので,そこに私たちがお互いの違いを感じるのは自然なことです。さらに,国や地域が形成され,そこにはそれぞれに違った人が住んでいると考えていますが,生物学的に見れば私たちはそれほど違わないのです。そしてそれは,意外に大事な視点だと思っています。

友原:多様性とは何かということについて,経済学は非常にドライです。経済学で多様性と言った場合は,数値にして分析することが多く,一番簡単なものだと,移民が人口に占める割合などです。もう少し複雑なものであれば,無作為に二人を取り出したときにその二人が同じ民族に属していない確率,という形で捉えられます。では,多様性がポジティブ,ネガティブのどちらで捉えられているか,という点については,論点によって異なります。たとえば,その多様性が技術革新を促進するか,という議論であれば実際にデータを分析して判断することになります。ですから,「多様性はいいことですか」と聞かれると答えに非常に困るのですが,経済学者としては,論点ごとに議論を進めていくことになっているとお答えしています。

多文化共生,多様性があってはじめてイノベーションは生まれる

是川:ありがとうございます。多様性について,それぞれのご専門や経験を交えてお話しいただきました。多様であるということは,友原先生がおっしゃったように,ドライに見ると本当にポジティブでもネガティブでもあり得る。一方で,多様であることをポジティブな方向に持っていこうという努力も,社会や個人の営みとしてはあるでしょう。そのために移民政策が必要であるなど,マクロなフレームというのも取り組みのひとつとして挙げられるのかと思います。

では,次にイノベーションについてお話いただきます。ただこれは,本家本元の経済学でも定義しづらいことだとは思います。特にメカニズムについては,こうすれば起きると言った時点で,もはやそれはイノベーションではないのかもしれません。とりあえず,それまで構造として安定していたものが変化していくことが,それぞれのご専門分野においては,どのように扱われているのか,具体的なエピソードを交えつつお話ください。できれば多様性との関係性といった観点が入れられれば,お願いします。

ミヤンマルティン:歴史的な流れとしては,日本の文化は海外とのやり取りのなかでつくり上げられてきました。古来,大陸からさまざまな文物がもたらされ,鎖国した江戸時代でさえ,長崎の出島で中国やオランダなどとの貿易や外交がありました。ただ,それはあくまでも一方的な情報の取得でした。明治時代になってもそれはほとんど変わらず,お雇い外国人などがいたものの移民としては見ておらず,一時的に日本に来た人という扱いでした。あるいは留学生を他国に送ったり文献を翻訳したりすることで情報を得たものの,これも一方通行のものでした。しかし,現在は違います。なぜなら外国人が“そこ”にいるからです。“そこ”と言うのは,職場や学校,地域の現場です。つまり,一方的な異文化の学びから交流へと,流れが変わり,そこからさまざまなイノベーションが生まれています。

現在,一般企業で多くの外国人が働いていますが,彼らは時々,よくわからない日本語に出合います。たとえば「情けは人のためならず」ということわざ。文化庁の調査によれば,日本人でさえその本来の意味をきちんと理解できている人は半分ぐらいだそうです。ただ,上司が間違って使っていても,日本人は上下関係を重んじるため,部下が「部長,その日本語,使い方を間違っています」とは指摘しづらい。でも,そこに外国人がいればコミュニケーションがしやすくなり,正しい日本語が伝わりやすくなります。こんなふうに,研究や一般企業の仕事の場において,外国人がいたおかげで「この日本語はこういう意味で,この概念はこういう意味だ」とはっきりでき,それがイノベーションにつながり,開発がうまく進んだという事例がたくさん生まれていると聞いています。こんなふうに「暗黙の了解」「当たり前」「一般常識」などをあえて明確化することで,異文化交流,多文化共生がイノベーションにつながることはたくさんあると思います。

梅﨑:社会学者がいうイノベーションは,多様性が前提条件です。多様性があるところにしかイノベーションは生まれないと言ってもいい。大体私たち人間は保守的な生き物です。だからこそ,それぞれの集団の文化が成立するのですが,時折,変わった人がいて,変なことをやり,それがたまに成功することでイノベーションにつながる,というのが,一つの考え方です。その意味で,多様性が増えれば多様な考えの人が増えて,イノベーションに直接つながる条件がととのうのではないかと思います。

私が学生の頃の大学は,今よりだいぶおおらかでした。教授も准教授も豪放磊落というのか,論文を見てもらおうと教室を訪ねても,すぐには見てくれず,「まあちょっとビールでも飲んでから考えよう」などと言われる。そこでビールを買って戻ってくると,教授と准教授は碁を打ち始めて,そのあとやっと論文を読み,長々と説教が始まり,10時ごろには帰っていく。学生は不満を抱えて夜の街に繰り出す。そんな自由な感じでやっていました(笑)。しかし,こんなことはもう,今では考えられません。今の私の研究室には留学生が非常に多いので,ある程度,規範を設けることが前提になっています。そうしないと,先ほどオヤさんがおっしゃったように,準備不足の学生や遅刻常習者が授業の足かせになる危険性があるからです。ただ,あまり厳しく規制するとイノベーションの芽を摘んでしまうので,そこが非常にバランスの難しいところです。最近は外国出身の方が日本に増えていますが,保守的な日本人からすると,自分と違う振る舞いをする人には不安を覚えがちです。だから,何らかのルール作りは必要ですが,あまりにそれを徹底してしまうと,本来イノベーションの前提条件となるはずの“多様性”を消してしまう懸念が出てきます。もう少し社会が成熟して多様性に関する私たちの理解が進んでくると,ルールをある程度共有しながら,多様性を生かすという社会の設計ができるのではないかとも思っています。

コチュ:子どものころ,トルコでは「イノベーションといえば日本」という時代がありました。日本のブランドへの憧れは強く,「日本製は壊れない,安心できる」という信頼が根付いていました。

しかし今,その輝きは少しずつ薄れています。かつての日本は「ものづくり」と呼ばれる丁寧な開発スタイルによって,時間をかけて最高の品質を追求し,それが強みでした。けれどもインターネットの登場以降,イノベーションのスピードは一気に加速しました。「ゆっくり,しかし確実に」進む日本型のやり方だけでは,この変化の早い世界では戦えないのが現実です。

これからの日本に必要なのは,多様性のあるイノベーション環境です。

一つは,組織内部の多様性です。さまざまなバックグラウンドを持つ人材が集まることで,新しい発想やスピード感のある意思決定が生まれ,より競争力のあるイノベーションにつながります。

もう一つは,「ハングリーな移民起業家」の存在です。彼らは異なる視点でビジネスチャンスを見出し,そして何よりも強いハングリー精神を持っています。今の日本の若い世代は,豊かで安定した社会の中で育った分,挑戦への渇望が弱まりつつあります。

スタートアップの数やスケールアップの数を見ても,日本は人口比でもGDP比でもアメリカの約1/10,ドイツの約1/3,韓国の1/2にとどまっています。この停滞を打破するには,外からの新しい視点と,内からの多様性を掛け合わせていくこと。

それこそが,これからの日本が再び世界で輝くためのカギだと感じています。

友原:イノベーションについて考えるとき,特許やAIを導入した生産工程などが分かりやすい例だと思います。例えば技能を持つ移民が増えることで,短期的には特許が増える可能性を示した研究などがあります。ただ,経済学の研究では,移民がもたらす技術革新は,必ずしもポジティブ一辺倒には捉えられていません。と言うのも,新しい技術が導入されることによって,職を失う人が出る可能性を示した研究もあるからです。

日本における多様性の受け入れとイノベーションを促進するときのキーワードとは

是川:確かにAI自体もそうですし,イノベーションが新しい仕事を生むと同時に,人から仕事を奪うことは懸念されています。それをどちらが多くてどちらが少ないか,そしてそのスピードがどれくらいなのか,ということは,状況によりますし,当然1つ1つのプロセスにおいて,直面する人にとってはつらい経験になりますね。

では,最後に,ここまでの議論を踏まえたうえで,「仕事と経済における多様性とイノベーション」というテーマのなか,日本が移民や外国人の受け入れという局面に直面している課題について,ホワイトボードにキーワードをお書きください。

友原:私は『あなた次第』と書かせてもらいました。結局,どのような社会を望むのか,個人個人がイメージを明確にすることが大事なのだと考えます。というのも,経済学の研究が示しているのは,置かれている立場によって,その生活に与える影響はかなり違ってくるため,望ましいと思う未来に必ずしも一つの正解があるわけではないからです。経済学からのお話は,ちょっとドライでつまらないと思われたかもしれませんが,そういった見方もあることを知っていただいて,これからの社会の方向性を考えるきっかけになれば嬉しく思いますし,皆さんの理想の社会に近づけたらいいと思っています。

コチュ:私が書いたのは『移民政策とスピード』です。先ほどさんざんお話しましたので(笑),説明は割愛いたします。

ミヤンマルティン:『日本文化の共有と多文化共生』が私のキーワードです。今は激変の時代です。過去にも,明治維新と第二次大戦後という激変の時代がありましたが,それに匹敵するような動きがあると思います。皆さん,もし機会があればぜひ『学問のすゝめ』を読んでみてください。主にその第15編に,日常習慣の具体的な例があげられて,「西洋の文化が素晴らしくて,日本の文化が遅れているというのはではなくて,それぞれの文化,それぞれの人に,弱みと強みがあるので,お互いに学び合うのが大事」のようなことが主張されています。まさにその通りです。ですからキーワードも『互いに学び合う』でもいいのですが,私としては,外国人に日本文化を覚えてもらったうえで,多文化共生をすることが大事だと思うので,このように書きました。

梅﨑:僕は『戦略的寛容さ』という言葉をキーワードにしたいと思います。昔,縄文時代が長く続いたあと,渡来人がやってきて,弥生時代が始まりました。縄文時代の人は木の実を食べ,あるいはイノシシなどを狩って生活していたところへ渡来人がきて,田んぼを作ってお米を作るようになりました。多分,縄文人は「なんだ,こりゃ」と思ったはずです。米は未知の食べ物だし,田を耕す行為も初見です。とかく,他所から違うものが入ってきたとき,人はそういう反応をします。しかし時間軸を長くとってみれば,それは受け入れられていくのです。どちらにしろ,多様性がイノベーションの前提条件というのは間違いないと思うので,そこに戦略的な寛容さがあってほしい。大学でビールを飲みながら碁を打ち,議論をすることも,あえてイノベーションのための条件だと僕は思っているので(笑),同じことが今日のテーマについても言えるのではないかと思っています。

是川:4人のパネリストの方々,本当にありがとうございました。多様性とイノベーションというテーマで,今後社会が変わっていくのなら,どんなところから変われるのか,という部分で,非常に貴重なご意見,興味深い論点を提示していただけたと思います。この課題の全体を貫いているのは,すでに移民社会になっているという事実と,そこにいる私たちがそのナラティブをどう積み重ねていけるか,ということでしょう。移民政策の推進などマクロな部分も大事ですが,やはり,一人ひとりの地に足がついたナラティブがきちんと解像度高く示され,それが積み重ねられて初めて,新しい社会像ができていくのだと思います。今日のディスカッションが,そうしたミクロな積み重ねのきっかけになれればと思います。集まってくださった方たちは,恐らく,すでに日々の生活でされているのだと思いますが,そういう方たちのさらなる今後の指針になれたなら幸いです。本日はありがとうございました。

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