多文化共生社会の実現に向けた課題と展望
―外国人市場,住環境,受け入れ主体の意識変革を中心に―
日本社会は少子高齢化と人口減少という歴史的課題に直面している。総務省の推計によれば,2060年には人口が8,600万人を下回り,そのうち約4割が65歳以上を占めるとされる。労働力不足は既に顕在化しており,産業の持続性や地域社会の維持に深刻な影響を及ぼしている。
こうした状況のなかで,外国人は重要な役割を担いつつある。法務省の統計では,2006年に約208万人だった在留外国人は,2024年には377万人に達した。就労者人口もこの20年間で約39万人から230万人へと拡大している。日本に来る外国人はもはや「一時的滞在者」ではなく,地域社会の構成員として生活し,定住する傾向を強めている。
本稿では,外国人市場の拡大とその背景を整理し,住宅・生活環境における課題を考察する。さらに,企業や地域の意識変革の必要性を指摘し,多文化共生社会に向けた展望を示したい。
1. 外国人市場の拡大とその背景
「外国人に部屋を貸す? ダメダメ,物件の価値が下がるよ。」
「外国人? 治安が悪くなるからお断り。」
にわかには信じがたい言葉かもしれないが,私が代表を務めるグローバルトラストネットワークス(GTN)を創業した2006年当時,こうした反応は決して珍しいものではなかった。外国人を一律に敬遠する空気は,賃貸住宅市場に深く染み付いていた。
しかし同じ時期,日本社会はすでに少子高齢化の進行と労働力の減少という課題に直面しつつあった。経済成長を支えてきた若年層が縮小し,地域社会では空き家が増加し,産業の担い手が不足していく。こうした構造的変化の中で,外国人の存在は“よそ者”ではなく,日本の社会を支える重要な担い手となり得ることが徐々に明らかになってきたのである。
本節では,この二十年余の間にどのように外国人市場が拡大してきたのか,その背景を制度,社会的評価,そして文化的要因の観点から整理する。
1)制度的後押しと政策転換
人口減少が進む日本において,外国人を受け入れることはもはや「是か非か」を論じる段階を過ぎている。今必要なのは,受け入れた後にどのように共生を実現するかを考える姿勢である。
しばしば「諸外国では移民が増え,社会問題を引き起こしている」という事例が引き合いに出される。しかし,日本と欧米諸国とでは事情が根本的に異なる。日本は四方を海に囲まれ,陸路で国境を越えることはできない。隣国から徒歩や車で入国できる環境ではなく,日本にいる外国人はすべて何らかの在留資格を有する。つまり,在留資格を持たない人が大規模に流入することは制度上あり得ない。
また,来日する外国人の多くは目的意識を明確に持っている。留学,就労,家族帯同,研究活動など,その動機はさまざまだが,いずれも「日本で生活し,日本社会の一員となる」ことを前提に選択している。数ある選択肢のなかから日本を選び,期待と希望を抱いて来日している人々である。
こうした前提を踏まえれば,外国人受け入れは「不安」ではなく「機会」として捉えるべきだろう。受け入れの可否ではなく,共に暮らすための仕組みをどう築くか―そこに日本社会の未来がかかっている。
制度面でも,この十数年で大きな転換があった。従来の技能実習制度は「人材育成」を建前としつつ,実態は低賃金労働を供給する仕組みとなり,多くの人権問題を生んだ。これに対し,2019年に創設された特定技能制度は,外国人を「一時的労働力」ではなく「生活者」として迎え入れる新しい枠組みを提示した。特定技能1号は14分野での人手不足解消に資する制度として導入され,2号では家族帯同が認められ,長期的定住を可能とする点で画期的である。
この変遷は,日本が外国人を「補助的な労働力」としてではなく,「社会の一員」として位置づけ直したことを意味する。労働力,消費者,納税者-人口減少下で失われていく役割を補い,さらには新たな価値を創出する存在として,外国人人材の重要性は今後ますます高まっていくことは疑いない。
2)「暮らしやすい国」としての評価
国際比較の視点から見ると,日本の生活基盤は依然として高い評価を受けている。教育制度,治安,医療保険制度,交通インフラの整備度合いはいずれも国際的に見て高水準にあり,社会の安定性という観点では世界でも類を見ない強みを持つ。国連の「世界幸福度報告」やOECDの各種調査において,日本は必ずしも「幸福度」全体の上位国ではないものの,「安全・安心」や「健康寿命」といった指標においては常に上位を占めている。
特に治安の良さは,来日外国人から高く評価される日本の魅力の一つである。夜間に女性が一人で街を歩ける,電車やバスで置き忘れた財布や携帯電話が高確率で戻ってくるといった日常的なエピソードは,国際的に見れば極めて稀である。多くの国では「貴重品を落とせば戻ってこない」のが常識であり,日本の「落とし物が戻る社会」は驚きとともに語られる。こうした治安の安定性は,安心して生活基盤を築くうえで外国人にとって大きな魅力となっている。
また,医療や社会保障制度も日本の評価を高める要因である。国民皆保険制度によって,比較的低負担で高水準の医療サービスを受けられる体制は,米国やアジア諸国から来た外国人にとって特に安心材料となる。米国のように医療費が高額で,無保険での治療が社会問題化している国と比べ,日本では予防医療から高度医療まで幅広いサービスが保障されている。この「医療インフラの安心感」は,長期滞在や家族帯同を検討する外国人にとって大きな決め手となる。
教育制度に関しても,日本は国際的に高い信頼を得ている。義務教育の就学率はほぼ100%に達し,学校教育の質も比較的均質に保たれている。特に近年は,外国人児童生徒の受け入れ体制が徐々に整備され,多言語対応の教材や日本語教育支援の仕組みが拡充されつつある。こうした取り組みは,親世代に「日本なら子どもを安心して育てられる」という印象を与えており,教育環境の安定性は外国人世帯の定住志向を強める要因になっている。
交通インフラの整備度合いも,日本の暮らしやすさを支える重要な基盤である。鉄道・バス網が全国に張り巡らされ,時間通りに運行する正確さは,海外から来た人々にとって大きな驚きである。欧米の主要都市でも交通機関の遅延やストライキは珍しくなく,アジアの新興国では公共交通が未発達な地域も多い。その中で,日本の公共交通の信頼性は日常生活の利便性を大きく高め,外国人にとって「住みやすさ」の象徴となっている。
こうした社会基盤に加え,日本は「生活コストと収入のバランス」においても一定の評価を得ている。欧米諸国ではインフレの進行によって生活費が高騰し,実質的な生活のゆとりが削られている。例えば米国では平均年収が日本の約2倍に達する一方,家賃や教育費,医療費の高さが家計を圧迫し,「額面収入が多くても暮らしに余裕がない」という状況が広がっている。その対比で,日本は額面収入こそ低めでも,物価水準が比較的安定しており,社会保障制度も整っているため「収入と生活コストのバランスが取れている」と評価される。
アジア圏の若者にとっては,また異なる理由で日本が魅力的に映る。中国や韓国では苛烈な受験競争を経なければ安定した就職につながらないという現実がある。インドやネパールでは,いまだに出自や身分が進路選択を制約する場面が存在する。それに対して日本は,学歴や出自に過度に縛られず,努力次第で進学や就労の道が開ける社会だと捉えられている。留学や就労を目的に来日する若者にとって,日本は「公平なチャンスが得られる場所」として映っているのである。
さらに,文化的要素も「暮らしやすさ」の一部として評価されている。清潔で安全な水道水が全国どこでも飲めること,ゴミ収集やリサイクルが秩序立って行われていること,24時間営業のコンビニや公共の自販機が街中にあることなど,日本では当たり前とされる環境は,外国人にとっては驚きと安心をもたらす。これらの要素は「日本は快適で安心して生活できる国」という印象を補強している。
このように,日本は国際的に見ても生活基盤の安定性と利便性に優れており,その「暮らしやすさ」は外国人にとって大きな魅力である。少子高齢化による人口減少が進む一方で,外国人の定住志向が強まっている背景には,こうした生活環境に対する高い評価があることを忘れてはならない。
2. 住環境をめぐる課題
1)賃貸住宅市場での「貸し渋り」
外国人居住者の増加にもかかわらず,賃貸住宅市場では「外国人はトラブルを起こすのではないか」という先入観が依然として根強い。オーナーや管理会社の多くは,言語の壁,ゴミ出しや騒音といった生活習慣の違い,さらには近隣住民から寄せられる苦情を懸念し,外国人への賃貸をためらう傾向がある。公益財団法人日本賃貸住宅管理協会の調査(2022年)※1でも,外国人入居者に対する「拒否感がある」と回答した賃貸人は約半数にのぼっている 。
実際,入居後にトラブルが発生するケースも存在する。ゴミ出しのルール違反や近隣トラブル,契約更新時の行き違いなどはその典型である。
しかし,現場で生じるトラブルの多くは,悪意やモラル欠如によるものではなく,単に「ルールを知らなかった」という理由に基づいている。例えば,退去時の原状回復や契約更新料の存在は日本独自の慣習であり,説明なくして理解されるものではない。ゴミの分別や曜日ごとの収集ルールも同様であり,そもそも母国にそうした仕組みが存在しない場合も多い。にもかかわらず,説明不足のまま「非常識」と判断され,次第に「外国人は貸しにくい」という偏見が強化されてしまう。
ここに見られるのは,文化や制度の違いが「トラブルの種」として捉えられ,共生の阻害要因になっている構図である。外国人入居者が増えること自体は,空室対策や地域の人口増に資する「機会」であるにもかかわらず,誤解や不安がそれを覆い隠しているのである。
2)日本独自の賃貸慣習と国際比較
日本の賃貸契約には,敷金・礼金,原状回復義務,退去予告期間,連帯保証人制度といった独自の慣習が色濃く残っている。これらは国内の市場や社会構造に合わせて発展してきた仕組みであり,契約の透明性や貸主保護の観点では一定の合理性を持っている。しかし国際的に見ると,これらは例外的である。
中国やベトナムなどでは,退去予告や原状回復の概念はほとんど存在せず,賃貸借契約はオーナーと入居者の合意次第で柔軟に決まる。韓国には「チョンセ」と呼ばれる一括保証金制度があり,物件価格の7割前後に相当する高額の保証金を契約時に支払い,その後は月々の家賃を免除される仕組みが一般的である。近年では「ウォルセ」と呼ばれる月額家賃制が増えており,いずれにしても連帯保証人制度は存在しない。
この国際比較から明らかなのは,日本の賃貸慣習は世界標準から見れば極めて特殊であるという点である。敷金・礼金や更新料といった仕組みは,外国人にとっては理解しがたい出費であり,説明なく提示されれば「なぜ必要なのか」という疑念を抱くのは自然なことだ。
しかし同時に,これらは契約を円滑に進め,貸主・借主双方に安心をもたらすための制度でもある。例えば敷金は退去時の原状回復費用をあらかじめ確保することで,貸主の不安を軽減するとともに,借主にとっても契約更新や退去に関するルールを明確にし,後々のトラブルを未然に防ぐ機能を果たしている。つまり,日本独自の賃貸慣習は「不透明な負担」ではなく,「信頼関係を担保する仕組み」として理解されるべきものである。
したがって必要なのは,「日本の常識」を前提にしない,何事においてもまず文化背景が異なり当たり前が違うことを意識すること,「日本独自のルール」であることを明確に伝え,その背景や目的まで丁寧に説明する姿勢である。以心伝心や暗黙の了解が通じない相手だからこそ,ハイコンテクスト文化からローコンテクスト文化への転換が求められる。契約時に「伝えた」ではなく「伝わった」かどうかを確認することが,トラブル防止の第一歩となる。
3)文化通訳としての支援の必要性
こうした状況において,保証会社や生活支援事業者は単なる「リスク回避の仕組み」を超えた役割を担っている。外国人とオーナー・管理会社との間に立ち,言語・文化の違いを調整する存在として機能しているのである。
弊社も,設立以来この役割を果たしてきた。単に家賃を保証するだけでなく,多言語での契約説明,生活ルールの可視化,トラブル発生時の仲裁,退去時のサポートに至るまで,外国人が「日本で暮らしを続けられる」ようにするための伴走を行っている。例えば,ゴミ出しのルールを母国語で説明したり,隣人との騒音トラブルに調停役として入ったり,退去時の費用精算について誤解を解いたりすることは日常的に発生している。
この役割は,いわば「文化通訳」である。法律や契約の翻訳だけでなく,生活慣習や地域ルールを相互に理解可能な形に変換し,関係者全員が安心して暮らせるようにする。外国人にとっては「困ったときに頼れる存在」となり,オーナーや管理会社にとっては「安心して貸せる環境」を生み出す。双方に信頼関係が構築されることで,結果的に外国人入居への心理的ハードルは下がり,地域社会の共生力も高まっていく。
重要なのは,外国人を「特別な入居者」とみなすのではなく,地域社会の一員として迎えるための橋渡しを誰が担うかという点である。現在は保証会社や生活支援事業者がこの役割を果たしているが,こうした担い手が増えることで,共生社会への道は大きく開かれていくだろう。
3. 地域社会における意識変革
1)排他意識と人口流出の悪循環
人口減少が進む地方では,本来であれば新しい住民の流入は歓迎されるべきである。しかし現実には,外部からの移住者に対して保守的になりやすい傾向がある。旧来のしきたりや地域コミュニティの同質性を重んじるあまり,外国人や移住者にとって居心地の悪い環境が形成されやすく,その結果,せっかく地域に移り住んだ人材が定着しない。さらに,地域の将来に不安を抱いた若者の流出も加速している。
実際,地方では「外国人はトラブルを起こすのではないか」「地域の雰囲気が変わってしまうのではないか」といった漠然とした不安が根強く,外国人受け入れに二の足を踏む事例が少なくない。だが,このような排他的な姿勢こそが地域の衰退を早めていることに目を向ける必要がある。
2)浜松市の先駆的な多文化共生政策
こうした課題に真正面から向き合い,先駆的な取り組みを進めてきたのが静岡県浜松市である。浜松は1990年代から自動車関連産業を中心に日系ブラジル人労働者が集住した都市である。当初,彼らと地域社会の間には大きな隔たりがあった。言語の壁から学校教育に適応できない子どもが多く,就学せずに成長する「不就学児童」の問題も顕在化した。就労面でも安定した職を得られず,地域から孤立した生活を余儀なくされるケースが少なくなかった。
こうした状況に対して浜松市は「多文化共生」を市政の重要課題に掲げ,行政主導で具体策を講じた。特筆すべきは教育分野である。不就学児童をゼロにするために,日本語指導教室を市内各地に設置し,通訳や学習支援員を配置した。さらに,外国籍の子どもを積極的に公立小中学校へ受け入れ,日本人の子どもたちと机を並べて学べる環境を整えた。この取り組みにより,教育の機会均等と社会参加が進み,外国人家庭が地域に根を下ろす基盤が形成された。
また,地域住民との交流を促進するイベントや相談窓口も設置された。多言語での生活情報提供や,文化交流を通じた相互理解の機会が積み重なることで,当初は不安や不信感を抱いていた地元住民の意識も少しずつ変わっていった。今日では,浜松市は「外国人と共に生きる都市」の代表的な成功例と位置づけられ,全国から視察や研究が行われている。
浜松市の経験が示すのは,外国人受け入れに伴う課題は決して「解決不能」ではなく,教育・行政・地域住民が一体となって取り組めば克服できるということである。特に,子どもの教育と日本語学習支援が共生の最重要課題であることを浮き彫りにした点は,多くの自治体にとって参考になるだろう[1][2]。
3)熊本市の戦略的取り組み
一方で,近年新たな事例として注目されているのが熊本市である。半導体大手TSMCの進出を契機に,外国人技術者やその家族の受け入れが急速に進んでいる。浜松市のように数十年かけて共生を模索したのとは対照的に,熊本市は最初から「多文化共生」を都市戦略の柱に据えた点が特徴的である。
市は外国人向けの生活相談窓口を強化し,住居・医療・教育といった基盤整備に官民で取り組んでいる。地元企業も外国人雇用を前提に体制を整え,行政と企業が一体となって「外国人受け入れを地域成長のエンジン」と位置づけているのである。人口減少が全国的に進む中で,熊本市は外国人定住を「地域社会の構造転換の契機」として積極的に活用している点で,先進的なモデルとなりつつある。
4)他地域の事例と国際比較
浜松市や熊本市に限らず,日本各地で多文化共生に向けた取り組みが始まっている。愛知県豊田市では,自動車産業に従事する外国人労働者が多いため,多言語対応の相談窓口や教育支援が早くから整備されてきた。福岡市は「アジアの拠点都市」[3]を掲げ,留学生の定着支援やスタートアップ支援を進め,外国人に選ばれる都市としての地位を確立しつつある。
国際的に見ると,ドイツはトルコ系移民の受け入れを通じて,社会統合のための制度設計を学んだ。言語教育や職業訓練を国家戦略に位置づけ,長期的な定住を支える仕組みを整えてきた。フランスもまた,移民二世以降の教育格差是正に重点を置き,包括的な社会統合策を模索している。
これらの事例は,日本が独自の文脈を持ちつつも,国際的な経験から学ぶべきことが多いことを示している。特に「教育」と「言語支援」を最優先に据え,行政・企業・地域住民が協働する仕組みを早期に整えることが,共生の成否を分ける鍵である。
4. 企業に求められる姿勢
日本社会が多文化共生を進める上で,企業の役割は極めて大きい。人口減少と労働力不足が進む中で外国人を受け入れることは避けられない選択であるが,それを単に「安価な労働力」として位置づける発想は短絡的であり,長期的には企業自身の持続可能性を損なう。外国人は働き手であると同時に,地域社会に暮らす生活者であり,消費者であり,納税者である。企業が真に求められているのは,外国人を「社会の構成員」として尊重し,共に成長する姿勢である。
そのためには,まず「生活基盤の安定」を支える仕組みを整えることが重要だ。住居の確保,日本語学習の機会,文化的摩擦に対応する相談窓口の設置などは,外国人従業員が安心して働き続ける条件となる。これらを整えずに雇用を拡大しても,離職やトラブルが相次ぎ,結局は企業にとっても損失となる。こうした支援は人材定着率を高め,組織の安定と生産性向上につながる「投資」として考えるべきである。
同時に,企業は外国人がもたらす多様性を「経営資源」として活かす視点を持たなければならない。異なる文化や価値観を持つ人材の存在は,新しい発想やイノベーションを生み出す契機となる。母国とのネットワークを通じて海外市場を切り拓く力にもなり得る。外国人を「異質な存在」として扱うのではなく,企業文化の一部として包摂することこそが競争力につながる。
こうした取り組みを進める上で,日本企業には「海外から学ぶ姿勢」と「謙虚さ」が不可欠である。欧州や北米の企業は,移民受け入れを通じて早くから多文化共生の課題に直面し,その過程で統合政策やダイバーシティ経営のノウハウを積み上げてきた。日本は歴史的に単一民族国家としての色彩が強く,外国人受け入れの経験は限定的であった。だからこそ,先行事例から学び,自国の状況に即して柔軟に取り入れる姿勢が求められる。
結局のところ,企業が取るべき具体的な行動は次のように整理できる。
- 受け入れ体制の整備:住居・教育・医療など生活面の支援を制度化する
- コミュニケーションの強化:日本語教育や多言語情報提供を通じて相互理解を促進する
- キャリア形成の支援:単純労働にとどめず,技能向上やキャリアアップを可能にする環境を提供する
- 地域社会との連携:行政やNPOと協力し,外国人が地域住民と共に暮らす仕組みをつくる
- 国際的経験から学ぶ姿勢:海外の事例に謙虚に学び,日本独自の制度と融合させる
これらを実践する企業は,「人手不足への対応機関」という枠を超え,社会的課題の解決と価値創出に資する存在となるだろう。
5. 多文化共生社会への展望
共生は容易ではない。
教育や言語支援,文化摩擦の調整には時間とコストがかかる。しかし浜松市のように粘り強く取り組めば,分断を克服し,人口外国人受け入れをめぐる議論は,もはや「是か非か」を問う段階を過ぎている。今私たちが直面しているのは,受け入れを前提とした上で,どのように共生を実現するのかという問いである。人口減少と高齢化が進む中,外国人の存在は社会の持続性を支える重要な要素であり,同時に新しい価値を生み出す源泉となる。
その実現には,行政,企業,地域住民がそれぞれの役割を果たしつつ,連携を深めることが不可欠である。行政は制度整備と教育機会の保障を担い,日本語教育や生活情報の多言語化,医療・福祉支援の体制を強化する必要がある。浜松市のように不就学児童対策や教育支援を徹底することで,外国人家庭が地域に根を下ろす基盤がつくられる。
企業は,雇用主としてだけでなく生活を支える主体としての役割を果たさなければならない。住居の確保,キャリア形成の支援,多文化環境での円滑なコミュニケーションを可能にする仕組みを整えることは,外国人従業員の定着と生産性向上に直結する。これは単なる労務管理ではなく,将来の成長を支える戦略的投資である。
地域住民は,共生の最前線に立つ存在である。教育現場や地域イベントを通じて交流を重ねることによって,外国人を「一時的な滞在者」ではなく「地域の仲間」として認識する意識が育っていく。浜松市で見られたように,この変化が共生社会の基盤をつくる。
さらに,日本は他国に比べて独自の条件を持つ。四方を海に囲まれ,不法越境が事実上不可能であるため,国内に暮らす外国人はすべて在留資格を有して来日している。目的意識を持ち,日本を選んで来た人々が多いことを踏まえれば,外国人との共生はむしろ「計画的に実現可能な課題」であるといえる。諸外国の先行事例から学びつつ,日本の状況に即した共生モデルを築くことが求められる。
多文化共生社会を実現するための要点は次のように整理できると考える。
- 行政:制度整備と教育機会の保障を行い,日本語教育や生活支援を拡充する
- 企業:外国人を生活者として支え,キャリア形成や多文化環境での活躍を可能にする
- 地域住民:外国人を地域の仲間として受け入れ,交流を通じて共生意識を育てる
- 社会全体:諸外国から謙虚に学びつつ,日本独自の条件を活かした共生モデルを構築する
これらの取り組みを積み重ねることによって,外国人が安心して暮らし,自らの力を発揮できる社会が実現する。共生は容易ではなく,教育や言語支援,文化摩擦の調整には時間とコストがかかる。しかし,その先には人口減少や社会縮小を乗り越え,日本社会が再び活力を取り戻す未来が開けている。
6. おわりに
日本は今,大きな岐路に立っている。人口減少と国力低下に直面するなか,外国人との共生を「避けられないリスク」と捉えるのか,それとも「新たな成長の契機」と捉えるのかによって,未来は大きく変わる。
私たちが持つべき視点は,もはや「受け入れるか否か」ではない。受け入れは当然の前提であり,その後にいかに共生を実現するかが問われている。しばしば諸外国の移民政策が引き合いに出されるが,日本の事情は根本的に異なる。日本は海に囲まれ,陸路での不法越境は不可能であり,日本に暮らす外国人は基本的には在留資格を有する正規の居住者である。言い換えれば,「身分のない外国人」を生じさせない状態を作ることが可能であるというのが日本の特徴である。
さらに,来日する人々はそれぞれに明確な目的を持っている。学びたい,働きたい,家族と共に暮らしたい。数ある選択肢の中から日本を選び,期待と希望を抱いて来ている人々だ。そうした外国人を単なる労働力や一時的滞在者ではなく,未来を共に築く仲間として迎え入れる姿勢が不可欠である。
私たちが持つべき視点は「排除ではなく共生」「同化ではなく相互理解」である。外国人が安心して暮らし,力を発揮できる社会を築くことができれば,日本社会は再び活力を取り戻すだろう。
外国人と日本社会をつなぐ橋渡し役として,引き続き生活環境の基盤づくりに取り組み,多文化共生社会の実現に挑み続けたい。



