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アンジェロ・イシ氏

講演録

アンジェロ・イシ

武蔵大学 社会学部メディア社会学科 教授

皆さん、こんにちは。アンジェロがファーストネーム、イシがファミリーネームです。どうぞブラジル流に、気軽に、アンジェロと呼んでいただければと思います。
私は戦前に、日本からブラジルに祖父母が移民し、サンパウロで私の父親、母親が生まれた日系2世の息子として私がサンパウロで生まれた、日系ブラジル人3世です。
私は1990年に日本の大学院に留学し、研究を重ねているうちに、気付けば、日本で生活している年数のほうが長くなり、日系ブラジル人3世のアンジェロ・イシさんと紹介されるのは、私の日本におけるアイデンティティーとマッチしなくなり、自分はもはや日系ブラジル人3世ではなく、在日ブラジル人1世なんだと。要するに、日本社会の一員、チーム日本のメンバーの一員です。ちょうど7年前に、結婚16年目にして待望の娘が生まれました。東京の病院で生まれたので、移民になった自分の子どもとして、在日ブラジル人2世の娘が生まれた。その2世から見て私は、正真正銘の1世になったんだなと実感を、より強く持つようになりました。さらに今年、東京オリンピックが開催するので、勝手に東京オリンピックホスト宣言をしています。つまり私は、東京人として、東京に愛着を強く持つようになりました。恐らくここ日立市に住む外国人の多くも、日立人としてのローカルな愛着とアイデンティティーを持っている外国人は確実にいるはずですし、あるいは県単位で、茨城県人としてのアイデンティティーを持っている外国にルーツを持つ人たちも、大勢いると気付いていただければうれしいです。

まず、外国人と言う言い方は、鍵括弧で考えてもらいたいです。この言葉が非常に危ういという点に気付いていただきたいです。皆さんの目の前に外国人と言われる人たちがいるとしても、外国人である以前に、その人はブラジル人かもしれない。ブラジル人である以前に、その人には名前があるわけです。つまり、個性があるわけです。従って皆さんも、外国人と一期一会的に出会う機会があるならば、まずは、その人の名前を聞いてあげてください。そして名前で認知して、名前で呼び合う関係を始めてくれるとうれしいです。
次に、その鍵括弧付きの「外国人」との共生で一番必要なのは、足し算と掛け算の論理であるというふうに訴えたいです。例えば日本に外国人がやってきて、「郷に入っては郷に従え」と外国人が日本に合わせるべきなのか、それとも、その外国人たちに日本に合わせるか、2択で示されることが多いですが、足し算をして、どっちもお互いに歩み寄るこの論理で考えると、多文化共生につながると思います。さらに、外国人たちの出身国の政治、経済、社会的なバックグラウンドの理解が必要です。
頭で理解するだけではなく、情的理解、あるいは心情的理解が重要で、きょうの私のテーマである「心の壁、言葉の壁、法の壁」の、心の壁です。つまり、日本に住む人々の立場になったら、物事がどう見えてくるのか。彼や彼女らが、どういう気持ちで日本で生活し、どのように感じているのかについて、皆さんが想像力を働かせることができるかが勝負になってきます。
私はよく海外に行くのですが、アンジェロという人間が海外に行って、成田空港に戻ってきた時の気持ちを、皆さん、ちょっと想像をしてみて下さい。私は、成田空港で最近とても目立つ、Welcome to Japanという大きな看板を見ると憂鬱(ゆううつ)になります。その看板には、19カ国の言語で書かれているのですが、ポルトガル語がないんです。なぜがっかりするのかというと、日本に長く住んでいる在留外国人の統計のトップファイブに入っているブラジル出身者の母国語が、なぜか入っていない。これは多分、外国人観光客として、短期で日本にやってくる外国人観光客を「おもてなし」することに、今、日本はすごく夢中になっていて、日本に長く住んでいる、いわゆる鍵括弧付きの外国人には、どちらかといえば無関心で配慮が行き届いてないわけです。

アンジェロ・イシ氏

これは何も成田空港だけではなく、語学講座番組のラインナップも「おもてなしの英語」や、ロシア語などは幾つかあるのですが、ポルトガル語、ベトナム語、インドネシア語は、いまだに入っていません。ところが、すごくニーズがあるんです。社会でニーズがあるものに応えるのが本当は筋だと思うのですが、言葉の壁で外国人たちも困っています。その彼らとコミュニケーションを取らなければいけない日本人も困ってるんです。両方のニーズがあるので、多文化共生のマインドで語学番組を編成するべきだと思います。
それを考えると、きょうの主催者である、日立財団に、私は、拍手を送ります。国際語として、英語に加えてポルトガル語、中国語、ベトナム語の同時通訳を入れ、きょうのイベントでニーズがある言葉の壁に、しっかり対応しようという姿勢が大事なんです。このような多文化共生イベントに行けば、日本語だけではなく日本語が分からない人も通訳があれば理解できるという噂がどんどん広まれば、日本人だけではなく、その地域に住んでいるさまざまなバックグラウンドを持っている人たちも、自然と参加率が増え、そこから何か、いいものが生まれると思います。
先ほど話した、社会全体として、古い形の国際交流から、新しい形の多文化共生にパラダイムシフトができていないので、脳内でも、その意識改革がまだ浸透していないことが心の壁の大きな課題だと思います。つまり国際交流というのは、期限付きの短期の付き合いで、多文化共生とは、無期限、エンドレスな付き合いを前提としている。外国人を受け入れるかどうかではなくて、既に沢山日本に住んでいる方々について、外国人という言葉を使わずに済むなら、それに越したことはないです。なぜならば、例えば外国人犯罪という、日本語にしかないワードが、独り歩きをしてしまうからです。「外国人」と言われている住民は、意外にも地味で普通の人々が多いという視点が見落とされているわけです。つまりメディアによる報道は、例えば10人の外国人がいるとすれば、極端に成功している1人か2人、そして極端に何か問題が起こした1人か2人をニュースにするわけです。でも一番多いのは、特にいいニュースでもなく、悪いニュースでもない、皆さんとほとんど同じような生活を送っている普通の人々なのです。しかも3世代で日本で暮らしている人も増えています。あと、それぞれの国の階級や、階層の人たちが、どれくらい日本に来ているのかという点にも注目すべきです。日本は、本当に来にくい国です。遠いし、日本語なので。よほど、それぞれの国で、学歴や、それなりの職歴、それなりの文化資本がないと、日本に来ないです。この点が見落とされています。あと、強調したいのが、多文化共生は多文化強制、つまり上から下に強制し過ぎるものであってもならないということです。ここで、めったに他の人なら皆さんに紹介できない、私の出身国のブラジルの多文化共生絡みの事例を2つ紹介します。
(4ヶ国語の文字が書かれている写真を見せながら)これはある学校の図書館で「静かにしなさい」という表示ですが、一番上に表示されているのが、選択外国語のスペイン語、2番目に、国際語として英語、3番目にドイツ語、この学校は、もともとドイツ系の移民たちがサンパウロ市でつくった学校なので、一番上に表示されていいはずのドイツ語が、3番目に来ていて、あろうことか、国語のポルトガル語が一番下で、一番目立たない謙虚な立場に置かれているという。これは、日本で言われる「郷に入っては郷に従え」とは逆の、多文化共生的な発想が働いています。これによって、小さい時から多言語、多文化に敏感な、グローバル人材として育っていきます。

次に言葉の壁について、最近のエピソードを紹介します。静岡県には、非常に多くのブラジル人が住んでいますが、そこで、台風の時に、洪水の危険性があり、あろうことか、間違った情報をポルトガル語で出してしまいました。氾濫しそうな川から遠くへ逃げなさいと流すべきところ、「川に近づきなさい」と出してしまいました。これは、バイリンガルのスタッフがお休みだったので、翻訳ソフトに任せ誤訳をしたわけです。これを皆さん、どう考えますか。つまり今、みんなAIを頼り、過信しているように感じます。人間ならこういう誤訳はしなかったはずなので、もっと各地に、人間のバイリンガル、トライリンガルの人材を育て配置するべきなんです。結局、本当に頼るのは人間だと私は考えています。

ロナウドだるま

こちらは背番号9のロナウドだるまです。この背番号9のロナウドだるまが何を意味するのかというのを、ちょっと考えて下さい。
これはちょうど2002年の日韓のワールドカップがあった時に、このだるまを、私は群馬県の大泉町というブラジル人が大勢住んでいる地域で購入しました。(500〜600円)
これは先行投資です。ビットコイン並みのですね。みんな価値が分かってなかった。みんな見向きもしなかった、このだるまちゃんに! でも、私は30年後に、きっと国立民族学博物館辺りで、大きな展示会を開き、激動の時代を振り返るでしょう。日本が、まさに多文化共生社会になった時を振り返る展示です。その時に小物が欲しい。誰も小物を持ってない。でもアンジェロは、このだるまを持っている。それを50〜60万円で僕が売って、それで僕のマイホームのローンを無事完済しようという...もちろんこれは冗談なわけですけど、何を言いたいかといったら、みんなあまりにも、外国人が日本で増えることを黒船のごとく恐れ過ぎてるんです。恐れる必要がない。古き良き日本の伝統文化の象徴である「だるま」は、これからも、その伝統を守り文化はずっと継承することができます。そこに足し算をして、新たな仲間として外国人が地域に住むことで、絶対に生まれなかった「サッカーのロナウドだるま」がブラジルのイエロー色をまとい誕生したのだと。このようなプラスアルファの発想の転換をしてほしいわけです。

つまり、日本にやってくる外国人たちを悩みの種としてだけ考えるのではなく、人材の宝庫として考えていただきたいのです。明るい話題に結び付けられるグローバル人材に対して、暗い話題に結び付けられる多文化共生というのも問題です。

実はタイムリーなのでPRさせていただきますと、このサイトウさんというのは、ちょうどNHKの『逆転人生』という番組がありますよね、月曜日の夜。2月3日に、この彼の逆転人生が放送されます。彼はその後、ネギの栽培でも、すごい逆転を遂げたので、彼が主人公の番組が放送されるので、ぜひ見てください。僕もコメンテーターとして出演する予定です。
さて、もうほとんど時間がないので、お配りしている資料を、あとは皆さんに黙読していただきつつ、後で個人的に僕にいろいろ質問をしていただければというふうに思うわけですけど、最後にこちらをご覧いただきたいのですが、NHKの『のど自慢』に、日系ブラジル人が、外国人として初の全国のグランドチャンピオンに輝いたんです。
一方で、NHKは愛知県のローカル番組で、『ラティーノ・ノドジマン』という、地域に住む南米出身の人たちを励ますのど自慢大会を開催しました。さて、どちらの『のど自慢』が多文化共生として理想的なのか。日本人と同じ土俵で競って、切磋琢磨してチャンピオンになるのが望ましいのか、ラテン系というエスニックマイノリティーに対するアファーマティブ・アクション、つまり優遇政策なのか。答えはけっこう簡単です。両方とも、とても意味のある「のど自慢」なんです。両方とも推進すれば、足し算と掛け算の論理で、多文化共生の「心の壁」を崩す上で良い相乗効果が得られるのです。言葉の壁についても同じことができます、外国人も日本語を勉強しましょう、そして日本人もせっかくのチャンスなので、いろいろな言葉に出会いましょう。両者とも互いの言葉を学ぶのが、壁を無くす近道です。これが私のラストメッセージとなります。どうもありがとうございました。