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公益財団法人 日立財団理工系女子応援プロジェクト わたしのあした

PIONEER TALK Vol.5 YUMI KAJIYAMA

進路選択のきっかけ。
素晴らしい建築よりも、
通りの快適さに衝撃を受けました

荒木:
大学で建築学科に行こうと思われたのは、何かきっかけがあったのですか。
梶山:
小さいころの夢はエレクトーンの先生でした。
その後、ケーキ作りにはまった時期があって、ケーキ屋さんになりたいと思ったのですが、高校が進学校だったこともあって、面談でケーキ屋さんになりたと言ったらあまり相手にしてもらえなくて。
じゃあ何をやろうかなって考えている時期に、家庭科で設計をやる授業があったのです。
それがすごく楽しかったのですよ。
荒木:
授業でありましたよね。
梶山:
その時、これは結構仕事としても面白いかもしれないと思ったのです。
それとは別に、人が好きというのがあって、心理学をやりたいというのも思っていました。
でも、学力の問題なのですけど、英語が苦手だったのです。
ですから文系は無理だなと。
という選択肢で理系を選び、建築に進みました。
荒木:
そうだったのですね。
梶山:
はい。どちらかというと積極的にというよりは、選択肢として理系になった感じなのです。
荒木:
建築の勉強をされてからは、また色々な選択肢があったと思うのですけれども、例えば設計事務所に行くなど、横浜市にはすぐに入られたのですか。
梶山:
大学で建築をやっていて、研究室に入る前だったでしょうか。
皆さんもよくご存じの表参道にケヤキ並木がありますよね。
大学2年のとき、この表参道の沿道を演習の敷地の課題設定として選んだのです。
荒木:
演習ですか。
梶山:
はい。自分で考えるという課題だったのですけれども、私はその頃、あまり表参道へ行ったことがなくて、行って街に圧倒されたのです。
表参道のケヤキ並木通りには、すごく有名な建築家の方々の建築がいっぱい建っているのです。
本来であればその建築が主役になるのですけれど、それが全く目に入らないぐらいの通りの快適さがあって、私はそこにとても衝撃を受けたのです。
自分は、建築単体よりこういう街を作りたいなと思ったのです。
その思いがあったので、研究室を決めるときに、建築系や構造系など色々ある中で、街づくり系に比較的近い都市計画の研究室を選びました。
荒木:
そうだったのですね。では、横浜市を選ばれたのは?
梶山:
実は、もともとは出身の世田谷区に入りたかったのです。
あと、街づくりに興味を持った後、ヨーロッパなどに行く機会があって。
住宅地の作り方が日本と全然違って、自分の街を誇っている、そういった空間がすごく多かったことに影響を受けました。
自分も住宅地の街づくりがしたいというのはあったので住宅地と言えば世田谷というものありましたが、横浜も都市デザインが進んでいたので興味を持って、世田谷区と両方を受けたのですが、そのとき当時横浜の前室長だった方から「横浜は都市デザインが進んでいるけど、住宅はこれからだから、これからの方が面白いのではないか。」と言われたのです。
荒木:
なるほど。
梶山:
そこで、確かに。と思って横浜市に入ることにしました。
今もまだ、横浜の住宅地はこれからなので、その野望を持ちつつの状況です。
これからまだやることがいっぱいあるという感じです。
荒木:
大学に入って専門を勉強している間でも、色々な機会に、自分がやりたいことを見つけるチャンスがあって、当初考えていた未来とは違う方へ行くこともあるということですね。
梶山:
あると思います。色々な課題や、色々なことに触れることで変わります。
私も大学はどちらの教科が得意かといったことで選びましたし、高校のときに将来を完全に決められる人ってなかなかいないと思います。
少しずつ経験することによって自分の道を狭めて行くのだと思います。