パイオニアトーク Vol.3

生活はサイエンスがいっぱい

モデリングとシミュレーション、この2つを並行処理しています。

五十嵐: 私の父が自動車会社に勤めていて、CADシステムを使っていました。アセンブラでプログラミングするような人だったんです。小さい頃、会社のファミリーデーのような、社員の家族を呼ぶイベントがあって、そこにはデザイナーさんが描かれたスケッチと、コンピュータのCADシステムの絵、それを元に作ったクレイモデルが置いてありました。クレイモデルの横にはヘラが置いてあって、「ご自由にお削りください」って張り紙があって、私は「削っていいの?」と思いながら削ったのを憶えています(笑)。私にとってはすごくインパクトのある経験でした。

荒木: 理工系に進まれることを選ばれたのは、お父様の影響が大きいですか。

五十嵐: けっこう大きいと思います。もともと数学、算数が好きで。中学になっても数学が好きで、ずっと数学が大好きだったんです。中高一貫の女子校に行っていましたので、女子だから理系が少ないとかあんまり気にすることなく、普通に数学好きだし物理好きだから理系ね、という感じで進んでいきました。大学はお茶の水女子大学でしたので、情報科学科40人もちろん全員女子。ですから、この分野に男子しかいない、女子が本当に少ないんだと知ったのは実は修士に入ってからなんです。それまでは全然意識することなく進むことができました。両親は、私が女子だから理系に進むのはちょっと、といったことは一切言わなかったですね。むしろ、父がハンダごてを使った修理の仕方を教えてくれたりしていたおかげで、今でもものが壊れたとき、うちの子どもは「おじいちゃんに直してもらう」と言っておじいちゃんが来るのを待っています。壊れたら新しいのを買うのではなくて、どうにかして直す。そのパーツが無ければ、工具を売っているお店に買いに行ったり、そういうことを目の前で見ていたので私は理系のことに自然と興味を持ち、進路に反対もされなかったように思います。

荒木: 私も中学、高校と女子校で工学部に進学したのですけれども。同じように父が理解があって、理工系が好きなんだったら行ったらいいと全然反対されませんでした。当時は、女の子が理工系に行ったら結婚できないんじゃないかとか、実験でほとんど研究室にずっと入り浸っていて、楽しい青春時代を過ごせないんじゃないか、といった社会的な意識みたいなものがありましたね。私の女友達も、私よりもずっと優秀で、たぶん理工系に行ったら素晴らしい研究者になっただろうなという人でも、やはり理系に行かずに文系を選択したりとかした人も多かったです。

五十嵐: 母はなんとなく心配していたようです。ただ、研究室で帰りが夜遅くなっても、女子大学ということで両親はあんまり心配していなかったようです。学部3年生のときに、その後所属することになる研究室で、博士課程の先輩の研究の開発補助のアルバイトをしたことがあります。その研究室の博士課程には、もうご結婚されてお子さんがいながら博士論文を書いている先輩がいらしたり、社会人ドクターとして来られている先輩がいらしたり、だいぶ年配になって違う大学でちょっと教えながら自分もドクターを取るために頑張ってらっしゃる方がいらしたり。そんなふうに、いろんな女性のロールモデルを見ることができました。私の場合、母は若くして私を産んでいるので、私も若いお母さんになりたいと思っていました。一方で、父は博士号を取りたかったけど諦めた人なんです。博士号について小さい頃から聞いていて、私も博士号を取りたいという憧れがありました。そんな中、その2つを両立している女性の先輩が目の前にいたわけです。お子さんを育てながら博士課程で論文を書いている先輩がいる。いろんな可能性があるんだ、可能性は諦めなくていいんだということを知ることができたのもあの女子大に進んで良かった点だと思います。

荒木: いろんな方がいらっしゃる。

五十嵐: そうです。こんなやり方があるんだと。そのことを知ることができたのがすごく良い体験でした。実際に私自身も、博士課程の間に子どもを産みながら、研究していました。研究も子育ても家庭も楽しんでできているのは、そういった女性の先輩方を見ることができたからかなと思います。そういう方が身近にいらっしゃったのはすごく大きいと思います。